人には
その人の
思考があり
考え方があり
行動がある。
それは自分でも他人でも
同じようなコトなわけだが。。。
そこいら辺を
ブッ飛ばして、
自分の考え
自分の思い
自分の行動
...等々を
”正しい”と思い込み
それを他人にまで
押し付けてくる
...というイキモノが居る。
正義の味方とか
頭を洗脳された正義マンとか
。。。であろう
そういうイキモノらは
自分の正義を押し付けて
すっきりしているが。。。
押し付けられた方は、、、
たまったものではない。。。
一方的に、
資産や心や体を傷付けられて、
ボロボロになって、
自分と言うものがなくなって、
何がしたいかわからなくなって。。。
人ではないナニモノかに
なっていく。。。
それで
”生きている”と言えるだろうか?
”生きていたい”と思えるだろうか?
他人の正義や定規を
押し付けられて生きていく。。。
苦しくて辛くて死にたい。。。
そういう苦しみを抱え。。。
生きていたいだろうか?
意見を押し付けられて、どうしてその部分が歪んだのかを考えてみるといいかも。
例えば何か趣味があって、その趣味を誰かに「おかしい」「キモい」と言われたとする。
それで落ち込むのって、結局自分自身でも心のどこかでそれを「おかしい」「キモい」て思っているんだと思うんだよね。
「こんな趣味持ってる自分てキモい」て思っているから、他人からの言葉に反発出来ず「やっぱりそうだよね」てなってしまう。
ヲタと呼ばれる人は、好きなものけなされると怒ったり、「キッズおつww」てせせら笑って相手にしなかったりするでしょ。
まあ反論し過ぎて炎上しまくるのはいきすぎだけど、「自信を持って好き」だから、ヲタは楽しくヲタをやってる。
人に言われて歪む部分は、自分でも曖昧な部分。曖昧な部分が多いほど影響されやすいし、影響されやすいと自信をなくす。
正義マンに叩かれてボロボロになるなら、それはそもそも自分なりの正義が自分の中にないのだと思う。
「人それぞれだから気にしない」という一般論ではなくて、「自分はこうだから気にしない」て主観で生きた方が、本当に気にせず過ごせるんじゃないかな。
そうしたら自分の意思で生きている実感が持てるかも。