思ったよりも大変なことになったような気がします。
自分でもどうなのか、わからないのです。
誰かお答えをお願いします。
私は昔から読書、特に音読が好きで、気に入った台詞や文を声に出すことに快感を覚えていました。そして、演劇部に所属し、架空のキャラクターになり、言葉を他人に伝える技術と楽しさを知りました。
そこからでしょうか。
自分よりも、キャラクターになりきった時の方が、感情表現が豊かになっているように感じるのです。
というより、キャラクターを通してでないと、自分の感情を表現できなくなってしまった。といった感じです。
例えば、何か楽しいとき、私が笑うと友人はいつだって私の笑い声を「嘘臭い」と言います。ですが、キャラクターになりきったときの笑い声はとても自然だと言ってくれました。
日頃の私は無感動でクールだから、キャラクターを演じた時のギャップがすごいとよく言われました。
昔はこれを、自分の表現力が上がっている証拠だ。と喜んでいましたが、演劇を止めた今では、自分がキャラクターを借りてでしか感情を表せないつまらない人間に思えて、どうにかしなければと思います。
でも、もう、無理です。
自分からの言葉よりもキャラクターからの言葉の方が感情の表れが鮮やかなんです。自分の不満を呟くより、小説の中のキャラクターのセリフをそのキャラクターになりきって呟いた方がしっくりくるんです。
今まではそれでいいと思ってました。でも、これでいいのか?とも思えてくるのです。
もう、割り切ってしまうのがいいんですかね。
お答えをよろしくお願いします。
長文、失礼しました。
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ななしさん
スムーズに相手に聞こえることより、
あなたが何か感じたとき、心から喜怒哀楽を感じての
出しているものなら、それが本来のあなただと思います。
(かたちにとらわれ過ぎているように思えます。)
キャラクター笑いをずっとしていると、ほんとうの自分の気持ち
が離れていってしまい、自分は感情を感じているはずのに、
実感を持てない、離人症になってしまいますよ!
ななしさん
笑い方、泣き方、感情の伝え方は生まれつき貰ったものもあるけど、周りの大人や友達から文化的に習う部分も大きい。
あなたがキャラクターから表現を学ぶ事はそんなに可笑しな事じゃない。本を読む人間はそうして語彙を豊かにしたり感情の表し方を知っていく。
キャラクターの力で練習していくうちに、幾つかはあなたの身に付くし、いくつかは合わなくて剥がれてゆく。
あなたの心に合う言葉、表現を選んでいるのなら、
それでいいんじゃないのかしら。
もし、「素の」自分を出してもそれはそれでいい。
だってそれは大したちがいじゃないから。
きっともっと年を取ったら判るとおもう。
職業や、親という立場だって、ある種の仮面。
受け取った立場に相応しい態度を、時に自分の欲より優先してでも成そうとする使命感がその人に力を与える。
だから大人は多かれ少なかれ仮面を被る。それが社会スキルをつけるということ。
営業の人なら、優秀な先輩や堂々とした俳優さんの仮面を借りて仕事をこなす事もある。それは極めてありふれたこと。
歌舞伎役者は同じ演目を代々演じる。
能の演者も同じ面を付けて同じ曲を舞う。
でも、代々の役者の個性がどんなに豊かなバラエティを持っていることか。
マンガのキャラになりきってチャットしてみたって、皆キャラの解釈が違うし、選ぶ「らしさ」の部分からして個性が出る
(経験済だから言えるのだけど)
それで当たり前。
演じるあなたも演じないあなたも、結局はあなた。
個性って仮面を付けただけじゃ殺せないもののことこそを言うのよ。
そしてそれを持っていない人間なんていない。あなたも。
まわりから無個性って言われてるその表現が 個性 。
キャラクターを借りるとスムーズに会話できる事、それも 個性 。
だって、誰かの言葉を引用したとして、その言葉を言葉の海から選んだのはあなただもの。
生きた心を持ったあなたが中心にいるのだから、どんな仮面を被ったって「あなた」はそれを破ってあらわれる。
だから、心配しなくたってあなたは充分あなたらしくやってるよ。
というわけで、あなたはとっても普通です。
自分の尻尾に捕らわれてぐるぐるまわったりしないで?
若いときはそういうのも微笑ましいものだけど、ね。
ななしさん
キャラクターの方が、感情表現がしっくりくる。
当たり前です。
芝居は相手に分かるように\"表現\"しているんですから。
秋桜緋桃
ななしさん
自分が信じる方をとれば良いと思う。
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