苦しいな、死にたいな。
いよいよそればっかの頭。
この前は2日間頑張れたけど、
今回そんなことしたら、
いよいよ壊れそうで耐えられなくて
出来なかった。
ねえ、どうしたらいいのか
分からないの。
現実の人と、、現実自体と
付き合うのも億劫になってきた。
いっそ、壊れるまで頑張れる私だったら
よかったのに。それだったら
こんな事態にまでならなかったのに。
疲れた。
こんなことで疲れてる私はきっと社会に出たら
ぐしゃぐしゃに踏み潰されてそれはそれは
無惨な姿なんだろうね。
どうしたらいいの?
これと言った趣味もなくなっちゃった。
選択して判断をするのにあまりに時間が少なすぎる。
何を楽しみにして生きているのか分からない。
ただ明日が来ること、人と関わることを恐れて
食べて太ること、自分の顔、成績、ステータスに怯えて
裏切られること、誰からも必要とされていない
自分への悲しみと、努力もしていない癖に
こんなことのうのうと垂れ流す私への嫌悪感。
音楽も本も絵も水泳も
私を引き留める何かになってくれやしない。
私が消えて無くなることで
どれくらいの人が喜んで、悲しむのか。
思ったんだけどさ、私が死んで悲しむ、
って思ってる人って私が死んだことを悲しんで
いるんじゃなくて、私、と言うものを失った、
自分に悲しんでるか、もしくは悲しむと感情を
勘違いしてるだけで本当はトラウマになってるだけ、
傷ついてるだけじゃないのかな、って。
現実の世界にいる人達って
ゲームみたいに嫌になったら存在を消去したり,無かった事にしたいのに出来ないから不自由だなとか思うし,そもそも人と関わってみたところで最終的には面倒くさい人だな…切りたいとか思うし…そんな自分は他人に共感も出来ないし,他人のために泣くことも出来ない人間なのは自分が一番よく分かっているから自分から率先してまで人と関わりたいという気持ちも巻き起こらない。
確かに主さんの言うことは間違いでは無いと思う。
結局は人間という生き物は自分が一番可愛い人間で,なんでもかんでも自己都合の良いように解釈したり他人に付き添っている素ぶりを見せてもそんなのは自分が優しいって自分に酔っているだけで,自分にも優しくしてほしい,裏切られたくないって強く思うからこそ他人に必要以上に優しくなったり偽善者ぶるわけで。
感情って,結論から言うと
自分の物差しで感情を勝手に脳内で「こうだ!」っていう解釈に持ち運んでいるだけだと感じます。