19歳男です。希死観念のような何かがずっと心から離れない。生きることを放棄したいです。
多くの人は生きることを辛いこともあるが、
いいこともある、みたいに肯定的に捉えていると思う。
だから、仕事とか勉強も結果に差はでるけど、みんな頑張っているのだと感じる。
でもずっと僕はそういう仕事、勉強、友達付き合い、趣味とかそういう行為がなんとしても忌避したい。避けたいと思っていた。
嬉しいときとか、達成感とかあるけど、なんかそれでも辛い。
大衆とは逆で、そのような行為がもたらす楽しさとか達成感が、頑張るとか努力する気力よりも小さいんだよね。
なにかを注いでも結局は、、みたいな。
最近はその頑張り、とかじゃなくて人間の生の営みすら同じように感じてきた。
ご飯とか、喋ることとか、動くこと、しまいには息をすることとか考えること。
こういうもののありがたみとか尊さがわからなくなってきた。
じっとしてたいし、無になりたい。
でも、バイトもあるし、人と関わりも持たなければならない、だから見た目も保たなければいけない。
明日起きたら死なないかなと祈りながら自然と眠りにおちるまでずっと考えてる。
周りの人はみんな、アルバイト、学校など。
純粋に楽しんだり、目標をもっていたり、
辛いけど頑張ってら人とか。なんでそんなに一生懸命になれるの?とか考えてしまう。
自分が 「ひと」以下のなにか下劣な何かだと思います。だってほかのひととこんなにちがうから。
あなたが生きる理由?とか思いを教えてください。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください
お返事失礼します。
僕も多分、小瓶主さんと一緒です。
“普通の人にとって当たり前”をすることが、もう既に面倒だし、辛くて。
周りを見たら、誰もが頑張っているようにしか見えないですし……。
生きる目標とか、生き甲斐とかがあったら、また違ったのかもしれないけれど。
何もしたくない人生なんて、生きようとするだけでも虚しいだけですから。
それでも我慢して生きていくのが“大人”だというなら、大人になんてなれる気がしませんし、“人間”として当然のことだというなら、僕もきっと人間じゃないんだと思います。
みんな普通に“人間”をやっているけれど、実はとても凄いことをしているように感じるんですよね……。
すみません。
こんな話をされても何にもならないですよね。
だけど、初めて“同士”を見つけた気がして、なんだか嬉しくて、つい……。
僕はあなたのことを尊敬します。
だって、きっと僕は小瓶主さんほど長く生きられないと思うから。
もっと早く、自分を見限ってしまうと思うから。
……だから、お疲れ様です。
辛いのに、それでも今まで生きていて。
僕にとってあなたは、尊敬に値するお方です。
長々と、失礼いたしました。
名前のない小瓶
リアルに死ぬことを考えた時、これは何時でも出来ると思った
その時にならないとわからないけど、楽な、出来るだけ痛くない死に方を調べて、逆に安心した
脳腫瘍を抱えるアスリートが、将来的に激痛に悩まされる可能性がある自身の病気について、「何時でも安楽死を選べる。それを支えに頑張れる」と語っていたのを見て、自死という選択肢や希死念慮について、肯定的な考えを持てるようになった
死は、人間に任された最期の権利
生まれる時は無意識に生まれる、だから死ぬ時は、自分が選べて良い
死にたいと考えるのも、社会の法律や倫理観が入り込めない個人の意識の中だから、責められることはない
死んで良い、死にたいと考えて良い、生命選択の自由、精神の自由はどんな時でも誰にも侵されることがない
これがわたしの考え
生きる理由は、特にない
心臓が動き、目が覚めて、何処も痛くなくて苦しくなければ生きていて苦はない
貧乏やいじめも経験しなかった
ただ、家族が壊れていくのを見て育ち、常識的な考え方しか出来ない人間が苦手になり嫌いになり見下すようになった
世の中は馬鹿ばかりだと見下すようになった
しかし、そんな常識的な人間たちが自分より遥かに上手く、忍耐強く社会を渡り歩き、世界を回しているから、自信は全く無くなった
自信がなくなると、肥大していた自意識が等身大に萎んで、身動きしやすくなった
気にしない、考えすぎない、気のせい
こう考えると、好きなところに行けて、自由に自分のことを話せて、楽しくなった
そんなところ、これからどうなるかは、まずわからない
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください