近代文学研究に持ち込まれる概念として、コード=解釈格子というものがあります。
コードは、一人ひとりの経験や信条や価値観によって左右される。つまり、解釈には個人差がある。
小瓶主さんの主張というのは、言ってしまえばコードの差を許さないということなのかなと思いました。
意見の相違とかじゃなくて、自分の流した小瓶に臨む態度や温度感を自分と一緒にしろ!みたいな。
自分の小瓶を100%自分の想定した通りに理解しろ!みたいな。
それは不可能なんですよ。
文章の巧拙・過不足もたしかに関係あるけど、それ以前にコードの差があるから。
完璧に理解するなんて不可能なの。
あなたと全く同じテンションであなたの小瓶に臨むことなんてできないの。
小瓶主側も勝手に小瓶流すように、お返事する側も勝手にお返事してるだけなんですよ。
お返事する側にあるのはルールじゃなくて気遣い。
(ルールは宛メ側にあるわけだけど、お返事の可否は相当グレーなところがあって未だに模索してるという主旨のことを管理人さんが仰ってたし)
小瓶主さんの言いたいことは、自分の小瓶への気遣いの強制では?
そしてそれって、自分から主張するものではない気がするのです。
じゃあ、不快だと思っても口を閉じていろっていうのかというとまた違って。
これは、お返事をしてくれた人との直接的なやり取りの中で、コードの擦り合わせをしていくしかないのです。
適切な「気遣い」ありきで。
これだけ長く書きましたが、私は2通目さんと多分似たようなスタンスだと思うので、そちらと併せて、小瓶主さんなりのコードでご理解くださいな。
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