ニュースを観てて気になった事柄が在ったから調べてみた。
何処かで誰それ(◯◯歳)が亡くなった状態で発見された時に読み上げられる表現で
「心肺停止状態」
と
「死亡」
と言う使い分けが在る
調べてみた。
『心肺停止とは』
心臓の動きが先に止まる場合と、肺の動き(呼吸)が先に止まる場合とがあるが、いずれの場合でも放置しておけば必ず両者は合併し「心肺停止状態」となる。
しかし蘇生の可能性が残されているため死亡状態ではない。
脳に血液が行かなくなるため、手遅れになるとたとえ命は助かっても脳死状態になる危険があるので、この状態に陥った患者に対しては、人工呼吸や心臓マッサージなど、迅速な救命措置が必要である。心肺蘇生法はCPR(英語: Cardiopulmonary resuscitation)と呼ぶ。
心肺停止と三徴候説
欧米では三徴候説が死の診断基準として普及するまで心肺停止(瞳孔散大を除いた呼吸停止と心停止)が死の診断基準とされていた。
三徴候説とは呼吸停止(呼吸の不可逆的停止)と心停止(心臓の不可逆的停止)に加えて瞳孔散大という3つの徴候をもって人の死の診断基準とするものである。
瞳孔散大ないし対光反射の消失は脳幹機能の消失と機能的には重なる部分があり、20世紀前半にはこれを基準に加えた三徴候説が死の判断基準として普及した。
日本のマスメディア(メディア)では自然災害や事故に遭遇して死亡し、医師あるいは歯科医師による死亡確認・宣告がまだ行われていない状態の人について「心肺停止」「心肺停止状態」と表現される。
医学界では、実際には死亡していても、心停止と呼吸停止のほかに脈拍停止と瞳孔散大(散瞳)を確認して医師が死亡を宣告しなければ法的に確定しないとされており、医師以外の者(救助要員や警察官・報道関係者など)は心停止・呼吸停止を判断することはできても、死亡を宣告することはできないことが理由である。
ただし例外として、救急隊が到着した時点で、既に死後硬直が始まっているか死斑が現れている、低体温であるなどいった状況から救急搬送する意味がもはやなくなっている場合、死亡判定がされることがある。
事故・災害現場において、まだ救出できておらず、医師も近づけない状態にある遺体や、病院に運ばれている途中の遺体は、医師による死亡が未宣告であり「心肺停止」とされる。
日本国外のメディアでは、日本のメディアが「心肺停止」と報じていても、海外の報道では「死亡」「遺体」に該当する語が用いられることもある。
ザックリ言うと
心肺停止と死亡の違いは
死亡と診断することは医療行為に当たる為、医師が宣言して始めて死亡とされる。
又、心肺停止は脳が生きてる可能性が在る状態の事。
なんだってサ。
この話しで
話しを広げて心情に落とし込もうとしたけど次に繋がらない。
上手くまとまらないし今は穏やかだから・・・
何を持って死と判断するのか?
身体は生きてるけど
心は死んでる
上記に沿えば
心が、心肺停止(表現がおかしいが)なら蘇生出来るって事だよね?
精神や感情や心が、折れて死んだと想ってても誰かの暖かい好意とほんの少しの自分の歩みの半歩でも心肺停止(上記の判断に基づく)なら死亡でないなら心が、蘇生してゆっくりと少しずつでも灯りの灯る暖かな処に戻れるんじゃ無いのかな?
生半可な事じゃ無理なんだけど。
ネ・・・
調子は如何?
何が見える?
ねえ、
何を学んだ?
何を見た?
何を感じた?
心が死ぬって
なんにも感じないのかな?
感情を殺すって?
逆に意識的に感情を殺す事って出来るの?
抑制?
鈍感、鈍化?
「怒りをコントロールするのは難しい」
「痛みを感じ抑える事は出来る、慣れてしまうから」
「悲しみをコントロールするのは難しい」
乗り越える?
何を?
越えなければいけないのか?
感情を殺してしまえば、無くしてしまえば、
意のままに抑止、抑制してコントロール出来ればどうって事なんか無い。
仙人かよ。
仙人じゃねーよ
俺は人間できちゃいねーからヨ。
いつまで経っても立派にゃ成れんな。
完熟
未熟
不熟
腐熟?
どれだ?
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訓練次第では、感情はコントロール(抑制)出来るらしいが、実際の所、抑制は出来ても、恐らくその感情が消えるという事はないんじゃないかと思う。(薄まる)
じゃないとコントロールじゃなくて、それこそ生まれた感情を何度も殺すような、好循環とは言えないものが出来てしまう。
その薄まり(感情が消えない事)を「コントロールではない」と感じるのなら…、見る人によっては嫌な表現になりうるかもしれんが、言ってみれば、「過ぎたるは及ばざるが如し」って奴なのかね。
個人差というのか、どこまで感情をコントロールできるかはそれぞれに置いて事細かに解らんので、正直「薄まる」という感覚も個人的な考えに過ぎんのだが…
その、過ぎてしまう程、「感情をなくしてしまおうと」思う程、大きな出来事があった事、心に傷を負うような事があった可能性は考慮したい点でな。
だからこそ、過ぎてしまう程にコントロールしようとする事で、その過程により傷付いた心が、更に傷付いてしまうような事には気を配りたいと思っている。
良くも悪くも、人間は思い込む事で、記憶、延いては意味や感情さえ都合よく上書きする事が出来る。
心の形さえも…、そうなのかもしれない。
もしかすれば、「心」と「自分」が近い距離にあるが故に、常に影響を及ぼし合っている位置関係にあるのかもしれん。
見つめ方を変えてみれば、日頃から心と自分を修復、生成し続けている、とでも言えるだろうか。(だからある種の不安も希望もある)
法的に確定するまで、死亡と断定し、メディアで取り上げる事が出来ないように、解らない事は解らない、推測は推測だ、などと、そういった余地が、考える事、思う事の中においては必要なのかもしれない。
ただ、まあ、感情をコントロール出来るからといって、それが必ずしも「できた人間」へと結びつくのかというのは、何を立派と考えるのかという、人の志次第だと思う。
多く、人間は中途半端で、そこに惑いもするが、だからこそ完璧ではない、不完全さを持つが故に、一生涯向上し続ける事が出来るもんなんじゃないだろうかね。
未熟ですね。可能性がある。
読んでいて凄いと思いました。
とても考えが深く、感動しました。
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先生へ(2024-04-26)
内省といいこと。最近なんだかんだいいことがなかったりなんだかんだ悪いことがあったりする。
別れた。20代後半で何言ってんだって感じだけど、お互いに結婚するには精神が未熟だったなと思う。