「死んだほうがマシ」と思われるのはまだ好意的な感想なのだと思う。
生きている状態と死んだ状態、それぞれが及ぼす影響について考慮してもらえているのだから。その時確かに頭の中に対象は居る。
「生きていても死んでいても、どちらでもいい」となれば、それは意識を向けて考えることすら放棄されている。
頭の中にすら存在できない。
ある種の社会的死。
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ななしさん
「愛の反対は無関心」てことが言いたいのですかね。
確かに「死んだ方がマシ」は「お前が嫌い」とか「お前は死んだ方が世の中の為」という特定の相手に向けた感情であり。
「どちらでもいい」は「お前、誰?」「何やってる人?」とか「私には関係ない人」という、相手を認識しようとしていない状態。
忘れられやすい人って確かにいるね。
別にいじめられていたわけじゃないけど、卒業したら元クラスメイトの誰からも連絡が来ないとか。
誕生日のメッセージをひとつももらえないとか。
皆で遊びに行こう!て時に一人だけ声をかけられない、嫌われてハブられているんじゃなく単純に「あ、そういえばいたわ」「言うの忘れてた」となる人とか。
社会と繋がっていることの良し悪しは別として、「存在が死んでいる」て言い方はしっくりきた。
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