ちょっと思ったこと
私は霊とか、神様とかいないと思います。
よくテレビとかで霊が出た!とかやってますけど、私には信じられません。
死んでもこの世にとどまるんだよって言われても嘘にしか聞こえません。
だって、霊とか言ったってそういうのを考えてるのは人間の脳だから。脳が死んだら気持ちも何も無くなる。
そうじゃないの?
魂が抜けてなんちゃらこーちゃらって、魂とかあるの?人間は脳でいろいろなことを考えてるんじゃないの?
ここに熱心なキリスト教信者とかがいたら申し訳ないけど、神なんていないでしょ?
マリアさん、性行為してないのにキリストさん生んだじゃない。
そんなの誰かの作り話でしょ?
キリストが復活したって、死んでなかったか幻覚だったかどっちかなんじゃないの?
それか作り話とか。
とにかく私は霊とか神とか信じられない。
でも、いろいろな意見を聞きたいです。
よろしくお願いします
名前のない小瓶
71766通目の宛名のないメール
お返事が届いています
優しい神様、優しい霊はいて欲しいです。
俺も正直信じていないかな。
まぁ、霊に関しては「存在してほしい」と願うだけだけど,,,。
まぁ、少なくとも神はいないだろうと思います。
いたとするなら、人々に不公平なクズ神ですよ。
私も同じ考えです。
人間が困ったときに都合をよくするために、辻褄を合わすために、分からないから不安というのを拭うためにできたものだと思います。まあそれで何か救われるならいいのかな。
こんにちは。
私はキリスト系の中学、高校に通ってた人です。
私は、キリスト教徒ではない(無宗教)ですけど神様はいると信じています。
確かに、神様は現実的に、いる可能性はあまりないでしょう。
中学に入るまでは絶対いるわけない、と思ってました。
ですが、今は私にとって神様はいると信じた方が気持ちが楽になるのです。
聖書の話が作り話であってもいいと思います。信じられないような話もあります。ですが、それらのお話しで救われている人がいるのも確かです。
正直、いてもいなくてもどちらでもいいと思います。そこは本人の自由だと思ってます。
私の思い描いている神様もイエス・キリストではないと思います。何か漠然としたものを思い描いています。
霊は・・・ごめんなさい、わかりません。
私はオバケが怖いのでいないと思いたいです。
魂とか、霊とか神とかの実在については、考えない訳ではないが、考えた上で未だよく解らん。
個人的に、信じていない訳ではないし、かといって完全に信じているという訳でもないな。
小瓶主さんが信じられないなら別に無理して思いを変える必要性もないと思うが…、興味があるというのなら、一人の、一つの意見として聞いてくれると助かる。
(長くなるので、もし読まれる時は余裕のある時に読んで頂ければ)
そうそう、脳は心臓が止まった後もある程度活動しているそうだよ。
臨死体験をした方が言うには、死んでいる自分の様子が見えたり、周りが泣いていたりする様子が見えていて、生き返った…というのか、意識が戻った後、家族とかに、死んでた時こういうアクセサリー付けてたよねとか話して、それが合っていたなんて事もあるそうな。
で、極端な話、本当かは解らんが、霊安室だったか、霊安室から出されて火葬される前だったか、目覚めた海外の男性なんて話もあったような。
身体にまつわる話だと、臓器だとか、骨だとかにも、記憶している部分があるそうで、脳だけでなくそれらも、思い出せる記憶と関わっているらしい。
(臓器移植で性格が変わったとか、記憶が〜とか、そんなケースもあったような気がする)
また、不思議な話、死んだ人の記憶を持つというか、生まれ変わりなのかよく解らんが、そういった事例も幾つかあるそうな。
あと、マリア様の処女懐妊については、科学的に100%無いとは言えないらしいな。
受精しなくても、細胞分裂というのか、無性生殖というのか、そういう事例は人間においても否定できないらしい。
(キリストのDNAを調べたとかなんかのテレビか記事で見たような)
キリスト復活に関しては、貼り付けにされたキリストは影武者説とか、色々あるね。
勿論作り話の可能性もあるけど、検証も難しいっぽく、説の域を出ないみたいよ。
まあ、高度な技術や文明は魔術と変わらんとも言うし、オカルト的な観点から、それを肯定すれば、高次元の存在がいてもおかしくないと考えられるようだしな。
個人的に霊というか…、意識の塊のようなものも、物質なのかなんなのか、何かしら存在していて、あちらこちらにあるけれど、人間の目、身体の仕組みとして見えなかったり、脳の処理として感じられていない、雑音のようなものとして排除されているだけなんじゃないかって気もする。
(物理的に見れば、多分意識とは電気的な信号や、伝達物質の流れやら、それらを送受信する器官同士の関わりの処理やら、そういう、複合的なものから生まれているんじゃないかと思ったりするので、それらの「流れの余波」などが、物理的な体の外に出たりする可能性はあるような気がする。…かめはめ波とか、そういう事ではないが)
かといって、足がないというか、そのままの人間の形や、声を持っているのか?
意識を持っているのかと思えば、何だか違うような気もする。
それを形作っているのは見る者の脳というか、生物的な、物理的に存在する身体の仕組みとしての、認識、感覚というかね。
(なので、霊感のある人で、実際見えるらしい人でも、それぞれ見えたり、感じる、霊の居る場所や種類が違ったり、同じ霊だとしても、姿形が違うらしい。本当かどうかは知らん)
また別の話、科学現象といえば納得はできるんだが、俺の部屋でたまにラップ音がするんだよな。
どうにも俺自身の声やら思いやらに呼応しているような気もするし(うるさいと思ったり、口に出すと静まったり、逆に余計にうるさくなったりする)、もしかすると俺自身の認識だけが関わっているのかと思えば、音は音として、他の人にもちゃんと聞こえているようだしな。
(人間は脳の発達故か、それとも他の動物もあり得るのか解らんが、見た景色や、音や匂い、触感など、様々な体験した事を擬似的に、いわばバーチャル的に再現出来るので、不意に誰もいないのに視線や声を感じたりという事はあり得る…が、それが己が持つバーチャル的な感覚から来るものなのか、霊的なものなのかの判断は難しい場合も多い)
これが霊なのかどうかと問われるとよく解らんし、家の隙間から屋根裏などに入り込んだネズミなどという可能性や、本当に偶然、気圧や温度変化により、家の木材が軋んでいるという可能性もある。
それに合わせ、俺自身霊など見えるような体質ではないのでなんとも言えんが。
他にも不思議な事と、割かし人生の中で遭遇してきているので、一概に切って捨てられないというか、不思議な事はあるような気がしている。
…というか、不思議な事が存在しなければ、科学なんて、存在も発展もしなかっただろうしな。
ただ、現実的な観点からすると、テレビで取り上げられるようなものは大体バラエティでしかなかったり、単なる、何の事故もない廃屋に尾ひれを付けた、でまかせだったりする事も多い。
バラエティショーという観点、話題性や余興性という点から見れば無粋な話ではあるのだが、鵜呑みにはしない方がいいだろうな。
そもそも、霊があるとすれば、人に直接害をもたらしたり、実体が見える程のような強力な霊なんて、そうそういるようなものでもないらしい。
そういうものがポンポン取り上げられる程あるのかというと、多分そうではないだろうし。
寧ろ、そんな強力な霊をテレビに出すとすれば、被害がどうなるかも解らん。
(どこまでの影響を及ぼし得るものなのかも解らんので、なんとも言えんが)
その辺は、解った上でやってるんじゃないかと思うがね。
まあ、とにかく、人間の目で見たものや感じたもの、そこからなる認識、科学的に立証されたものが、現実の全てではない事は確かだな。
「神」というものだって、今のキリスト感というか、聖書からすれば、全知全能かつ傲慢とも取れるような存在にも思えるが、果たして聖書に書かれる前や、そのもっと前の「神」というものが、どういうものだったのだろうかというのはそれぞれ異なるだろう。
(聖書をよく読めば解るかと思うが、他の文明の神を「悪魔」としているので、キリスト教の元となった宗教及び教義を持つ人々は排斥感が強かったか、何かしらの国や団体と対立関係にあったか、便宜上「悪魔」という概念を利用した可能性もある)
もし神のような存在がいるとしても、あくまで宗教観からなる「神」であり、現実的には、人間に絶対的な都合の良い神ではないのかもしれんというのもある。
(日本では、神やその種類として荒神などもおり、様々な分野を司る、あるいは分野に座す、八百万の神々があるという点で、人に都合の良い神もいるかと思うが、そうでない神…例えば、昔流行った病魔の神とされるものもいる)
「霊」も同じくして、テレビや世間一般、オカルト界隈、色んな方面からの脚色やら、個人的観点やらが合わさったり、伝言ゲームのように本質からズレていったりと、そういう場合もある。
何を「神」や「霊」としてきたのか、という部分もあるし、昔の認識、概念から、良くも悪くも、時を経て、出来た当初のものから、変わってしまったという場合もあるだろう。
日本の時代を遡れば、もしかすると「ありがたさ」や、「畏敬」そのものを表す言葉が「神」という表現だった可能性すらある。
いわば、人のような、生き物のような存在ではなく、単なる言葉の表現だったという可能性だな。
(これも専門知識がある訳でもないので、詳しく解らんが)
「霊」は多分その類で、詳しくは知らないが、元々は「人間の霊」を指すものではなく、「目に見えない力の働きの中で、畏怖される分類」…のようなものを表す表現だったらしい。
(言霊とか、そういった言葉を聞いた事はないだろうか)
なので、そもそも古代的な「神」「霊」とする認識と、現代的なそれらへの認識が違うという場合もあるので、そういった点から現代的な「神」や「霊」とされる認識が作りものである、脚色されたものであるという可能性は高い。
(「言葉の意味」というのは使われる時代の人間にも合わせて変わって行くものでもあるが、それが脚色や、皮肉、言外の意味から転じたものの中、新たな意味として使われて定着したものも多い。「さようなら」とか、「微妙」とか)
海外のキリスト教については、キリストを一人の、現代的な日本感でいう神(…の内の人間の救世主)として、心の支えとしようと言った宗教、教えであろうなので、また日本とは微妙に違った、海外の認識からなる「神」、「救世主」といったものであり、またキリストの聖書となった、元の文章にしても、割と改訂やら改竄やら、歴史の中であって、現在の聖書になってるっぽい。
ただ、聖遺物とされるものやら、鞭打たれた時に着いた血が染み付いたと考えられる、当時キリストの来ていたとされる服などは残っているので、キリストか、キリストとされるような人物はいた可能性が高いとされている。
(何千年ともなると、血であれば尚の事、遺体の痕跡からDNAを正確に読み取る事が劣化というか、損傷により難しい場合が多いため、キリストの血かどうかは断定できないらしいが)
存在の証明なのか、熱心な教徒が、愛を持って何か成そうとしたのか、よくは解らんが、日本のどこかにもキリストとされるものの墓があったりとな。
まあ、今思うのはそんな所かね。
霊に関しては、どうせ死ぬ時になれば、真実など解ってくるだろうさ。
…また別の話、死期になると、何故か身の回りの整理をし始めたり、急に性格からは考えられないような事をしだしたり、実際に影というか、その人の存在感が薄くなって、周りの人からはそこに居るのに認識されずらくなるように感じたりとか、色々あるらしいがねえ。
もし真実を知りたい気持ちがあるのなら、自分の意見も一つの意見として、噂は噂、その当時の個人が思ったまた別の、一つの意見として、話半分に聞いておくのが良いのかもしれんな。
(俺の書いた事の全てもそうだが)
以下はまだお返事がない小瓶です。お返事をしてあげると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。
このところ好きな人と微妙な関係です。私は大好きなのですが、時間に追われてなかなか返信できないでいます。
いい歳して酔って大失態を犯し自己嫌悪に陥ってます。先日、会社の人たち数人と飲みに行き酔っ払ってしまい、日頃の思いとか感情をぶつけて泣きじゃくり、嗚咽した勢いでリバースまでしてしまいました
旦那を閉口させてやりたい。共感力に著しく乏しい夫に何度も悲しい気持ちになってきた
また、河に来ている。コロナも一時のピークをすぎ行楽シーズンという季節柄もあって国内外の観光客が随分増えたけれど、河原はそれでも窮屈にならない
普通ってなんだろう。人と接してるとき、歩いてるとき、電車乗ってるとき、買い物してるとき、『あ、これいま普通に出来てるかな。普通に振る舞えてるかな』って、ものすごく考えてしまう
凍天(しみてん)
ODがしたいです。前にも2、3回ODをして全部親にバレました。
SNSはだるい
今日は、すごく頑張ったんです。「こうしてもらったら助かるだろうな」と色んな人の気持ちを考えて動いたけど、なんか裏目に出ちゃいました
不安……一度失敗しちゃってるから、今も失敗してるんじゃないかって
自分のこと好きじゃない。何もしたくない。不登校の友達が、アニメを語ってることとか、どっか言ってることとか、私には、嫌味にしか見えない。自分ってなんで、こんな性格なんだろう。
クラス替えの発表があったんです。去年が楽し過ぎて幸せに思っていたのもあって、今年に希望が持てないし、学校なんて行きたくないし、できることなら死んでしまいたいとも思っています
姉を殺したい
自己肯定感が低すぎる問題。自己肯定感ってやっぱり生きる希望になるから大事。それはわかってるんだけど。まあそんな簡単に自己肯定感上げられたら、こんなひねくれものになってないよね
皆の一つ一つの小さな言動が私のことを「迷惑」「要らない子」って言っている気がして