ふとした瞬間に、全てが無意味に感じます。
どう考えても自分は幸せなはずです。
自分で言えるくらい幸せなはずなのに、度々虚無感があります。
いつか死ぬのに、なんで今生きてるのか分かりません
死にたい訳じゃないけど、そもそも生きてるのがすべての元凶だという感覚です。
もうすぐ二十歳です。十分生きた気がします。
こんなこといいながらも、もし余命数年とか宣告されたら悲しくて仕方ないと思います。
生きたいのか死にたいのか分かりません。
生きたい時も死にたいときも、どっちでもないときもあります。
全てがめんどくさいと、時々思います。
人生って何なんですか?全部最後には無に還るのに
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ななしさん
まだ自分で生きてないのかも。
あなたが言う幸せって
優しい親がいて
衣食住が与えられて
生活費や学費を出してもらえて
信頼できる友達がいて先生がいて恋人がいて
そういう状態?
それってあくまでよく言われる「一般的な幸せの基準」に過ぎなくて、あなたが自分で見つけて手に入れて納得した幸せではないのかもしれません。
幸せな環境にいる人は、いろいろなものに守られながら生きてきたことで、かえって自分の足で生きている感覚が持てなかったりします。
どんな幸せも成功も、周りにいる皆のおかげ、産まれた場所のおかげ、運が良かったおかげとなりやすく、自力で勝ち取ったと自負しにくい。
したがって達成感がなく、刺激がない。
また「私は幸せだから悩んじゃいけない」とか「もっと大変な人もいるのに贅沢」とか、悩むのさえ自分で禁じてしまっている部分もあるのでは?
どんなに恵まれているように見えても、悩んではいけない人なんていません。どうぞ虚無感と向き合い、存分に悩み、自分が幸せと思ってきたことが本当にそうなのか、手に入れたい幸せがどこかにあるんじゃないかと探してみることをオススメします。
人生はいつかは全て無。その通りです。
しかし私達は生きている限り「有」です。
あなたは自分が幸せというなら、きっと大切な人がいますよね?
その人が明日亡くなった時、あなたは「どうせいつかは無だから」なんて思うでしょうか?もっとあれもこれもしたかっただろう、もっとあんな話もしたかったと、悔しく悲しくなるのでは。
あなたの周りの人から見たら、あなたの存在もそうなのですよ。
私やあなたの人生が、後世に何の影響も与えない、何も残さないとしても、私達自身にとって自分の人生は、喜びや痛みに一喜一憂しながら作り上げる作品で、同じ時代に生きる誰かと重ね合わせるものです。
成人すれば自由の幅も責任の幅もぐんと拡がります。
暖かい場所から巣立ちの時です。全て自分の目で見て自分の頭で考えた先に、豊かな作品が出来上がりますように。
人生ってなんなんでしょうね。私にも分かりません。
生きる意味も私には、分かりません。
ただ、毎日、寝て、起きて、ご飯食べて、学校行って、なんなんでしょう。
でもね。1つ思ったことがあるんです。
私たちが生きてるのは、やるべき事があるからなのです。
そのやるべき事が果たされるまで、私たちが死ぬことはないのです。
だから、人生が何なのかわかんなくても、死ぬまでに探し出せばいいんです。
それも生きている意味です。
探していくうちにきっと見つかる、
見つけられなくても、分かる日が来るかも知れません。
無意味なものはひとつもありません。
全てがめんどくさいって思うこともあります。
だって人間ですから。
私が、生きる意味が分からず、死のうと思っていた時、考え方を変えてみたんです。
わからないなら、わかるまで探そうと
なので、あなたも探してみて下さい。
自分が納得するまで。
まだまだ時間はあります。
長く偉そうに語ってしまい、すみません。
人生が何なのか、分かる日が訪れることを願っています。
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