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道徳が嫌いでした。「世界は○○で、だから恵まれた君達は~」が嫌いでした。よければお返事ください。生きることの大切さ友情っていいもの

カテゴリ
昔から道徳の授業が嫌いでした。
生きることの大切さ
友情っていいもの
努力は実を結ぶ
誰かの為に動けるような人になれ
社会
未来

一番嫌いだったのは
世界
に関することでした。

※この先の文で不愉快な気分になる方もおられるかと思います
すみません

「世界にはこんな子供たちがいる、だから君達は~…」
よくあるフレーズですね。
貧しい地域で暮らす人々、
戦争、紛争地域で生活する人々、
重い病にかかっている人々。
世界の実態。

それに比べて(←比べるのがまずその人たちに失礼な気がするけど)
君達は平和で健康に生きられているじゃないか。

「だから」君達にもできることを。

それが先生方の言わんとすることで、
社会の考え方で、正しさで優しさ。
反発する気持ちがなかったとは言い切れません。
けれど自分たちが恵まれていることも実感し,
その考え方の素晴らしさはよく分かっています。

だから
勘違いだけはされたくない
こういった内容が嫌いなのは
毎回なんで自分が生きてるのか嫌になるからでした。

生きたい人がいるという現実
生きられない人がいるという事実
なのに何の価値もなく時間を浪費する自分が生きている
申し訳ないのと同時に
何もかも嫌になる
何で代われないの?
何で私が
生きてるの?
誰かを人を救おうとは思えなかった
募金はできたって
自分がこの手でできることじゃないと思ったから
こんな、人になれない奴に
人を救うことはできないでしょう?
救えるようになりたくないわけでなくたって

だから
怖くて仕方なかった
なぜ生きてるのか
ずっと怖くて仕方なかった
いつか罰を受けると思っている
それが来ないことが
他に生きたい人が
生きるべき人がいるのに
自分が生きていることを誰も責めないことが怖かった
怖くて仕方なかった

何か月か、病みました。
生きてることが嫌だった。
今はそう思うことも減りました。
そういう授業というのを受けない年齢になったからでしょうか。
それでもそういった「世界」のことを耳にすると
未だに辛くなって思い出します

一番ひどかった頃
耐え切れなくて
親に泣きつきました。
何て言われたか詳しくは覚えていません
あほちゃう
生意気
お前がそんなん考えるんがおこがましい
偽善者
そんな感じだったと記憶しています
そういうふうに考えるなんておかしい
って

おかしいんでしょうか?



文章がバラバラで読みにくくてすみません。
私が言いたいのは
言いたかったのは
「世界は○○だから、あなたは恵まれてるから~」
その言葉は確かに正しいかもしれない。
けれど
傷つく人だっているんだよ⁉
無闇にそんな正しさを振りまかないでほしい
ということです。
自覚、罪悪感、劣等感、無価値感、言葉によって上塗られていく感情を
想像しましたか?
何度も道徳の授業で刷り込まれて、
何度も優しい人の言葉の中に見て、
その度苦痛でした。
意味が分からないんじゃない。
分かるから痛い。
生きることが辛い。
ねぇ。
もうこんな言葉で抉らないでくださいよ


愚痴のように思われるかもしれません。
もしかしたらそうなのかもしれませんね。
それに偏った考えで間違ってるのかもしれない。
けれど、誰かに分かってほしかったんです。
ごめんなさい。

共感してくれた方いらっしゃれば
よろしければ教えてください
間違ってるだろお前、という意見でもかまいません



読んでくださってありがとうございました。


とある偽善者もどき
名前のない小瓶
71253通目の宛名のないメール
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お返事が届いています
ななしさん (小瓶主)
またとんでます、重ね重ねすいませんm(__)m
rokさん、お返事ありがとうございます。
自己満足だったとしても、私はお返事に救われています。
先生によって違う、というのはそうだなと思います。
ななしさん (小瓶主)
すいません、順番とんでたみたいですm(__)m
青年海外協力隊の方々は本当にすごいと思います
行動を起こす人,強い人…
ユウジンさん、3通目さんありがとうございます
rok
初めまして。長文です。
最後まで読ませていただきました。
私個人の意見としては、共感できる部分もあるなあという感じです。

まず、私は道徳の授業は好きでしたよ。
なぜか私の小学2年のころの担任が、道徳の時間の最初にがんこちゃんを見せてきて、それから教科書を開いて授業を始めていたんです。がんこちゃんの内容については特に触れずに。ちょっと変わってますよね。
そのあとに教科書の内容を進める際も、先生から何が『正しい』という言葉は出なかったんです。
その先生は、登場人物がどうしてこの行動をとったのか考えてさせて、そのあともし自分がその立場だったらどうするかを考えさせていました。そして最後に、クラスのみんなの意見を聞く。それで終わり。
先生は考えさせて、授業の進行をするだけ。
そのくらいのものでいいのになと思います。
私は、子供が自分で考えることが道徳の授業では大切だと思っていますから。

『かわいそう』の基準を決めつけて、こちらに君たちは幸福だと押し付けてくるような授業では苦痛を感じても仕方がないですよ。
だってそんな話現実味もないし、実感もわかないし…。

正直、道徳の授業って先生によって差が大きいですよね…。

あなたがどう思おうと、それはあなたの自由です。
その考えのもと誰かを攻撃したり、傷つけたり、批判したりしなければ、思うことは誰しも自由にしていいことだと、私はそう考えています。難しいですけどね。
私は、あなたが間違っているとは思いません。



追伸
生きるべき人がほかにいる、という感覚はなんとなく共感できます。
私は高校時代にクラスメイトが病気で亡くなったときに、強くそう感じました。
とても明るくて優しくて、特別親しくもなかったのに放課後私が教室でうたた寝していたら『大丈夫?』『どこかつらいの?疲れちゃった?いつも頑張ってるもんね』って、声をかけてくれるような子でした。
人一倍頑張っているのはその子なのに、みんな頑張っててえらいねって。
みんながその子が元気になるのを願っていました。それでも助からなかった。
どうして、って思いました。
どうして死ぬのがこの子じゃなきゃいけないの、って。

きっと私も偽善者ですよ。
エゴでできてる。
お人好しでお節介で。
そのくせやさしくするのは、自分がやさしくされたいから。
このお返事も、私の自己満足でしかない。
不快に感じたら、ごめんなさい。
ななしさん (小瓶主)
1通目さん、nonaさん、烏羽さん
お返事ありがとうございます。
皆さんの意見、共感してくれたこと
いろいろ知ることができて嬉しいです。
学ぶことも多くありました。
拙い言葉で、うまくまとまって言えなかったけど
この小瓶を流してよかったと
今思います。
短くてごめんなさい。
けれど,本当にありがとうございました。
ななしさん
道徳の授業
「誰かのために」「思いやりをもって」「手を差しのべられる人に」「優しい人に」

自分がやりたくないことを嫌な顔せず引き受けてくれる人はそりゃあ増えて欲しいだろうね。
ばか正直に道徳守って生きてもね、自分を大切にすることと嫌なことを拒否する強さも身に付けなきゃ、都合のいい人として利用されてボロボロになって終わり。
弱いイイ人はただの奴隷。
ななしさん
あなたのようにそう感じ、行動を起こした人がなっているのは
「青年海外協力隊」
だよ。
ななしさん
道徳やって世界が平和になるなら、とっくに平和になってるよ。
道徳やったって人を傷付ける奴らはいるし、いじめする馬鹿な人はいるし、どうしようもない人達ばかりだよ。
少なからず道徳なんてやってもあまり意味はないかなと思っています。
人間性ってなかなか変わらないからね。
反芻しながら全文読みました。
あなたの意見に、全体的に同意見です。

あなたは感受性に富んだ方なのでしょうね、
先生から言われた言葉が痛烈に刺さって
名前も声も知らないどこかの誰かに
心の底から感情移入して、
生きたいあなたの代わりに私が生きていてごめんなさい、と
いわれなき罪の気持ちに苛まれてしまう。
(間違っていたらごめんなさい、
その時は私の読解力不足です。)

お辛いですよね、病むのも無理ありません。
しかも親御さんに助けを求めても、
理解を得られないどころか突き放すような言葉が返ってこられて……
当時のあなたの苦しみは筆舌に尽くしがたいものと思います。


道徳の授業は、もちろん世界情勢を知るに当たっては有効だと思います。
ですけれど、あなたが受けた内容では
意見・主張の押し付けと感じてなりません。

「世界には満足にご飯を食べられない、学校に通えない子供がたくさんいる」
それだけでいいと思うんです。
飽くまで、事実を伝えるまで。
教師から一方的に「あなたたちは恵まれている」「周りに感謝しましょう」「貧困層に募金しましょう」と言われるのは、なんか違うなあと。

その事実を得て、どう感じるか、何を思うか。行動に移すでも詳細を調べるでもただ自身の環境に感謝するでも家庭環境が苦しくて共感するでも。
事実を知ってからどうするかは、
個人に一任してしまっていいと思います。
普遍的な「善」を押し付けるから、
あなたのように悩み苦しむ方が
出て来られるのではないかなあ……と。

幸せと不幸せは、相対的でなく
絶対的であっていいと私は思っています。
相対的に見ていいのは、自身の過去未来に対してだけ。
幸せも不幸せも、他人と比べるものではありません。自身が幸せと思えば幸せですし、辛い苦しいと思えば不幸せです。
たとえ周りや世界のどこかに、自分より幸せ・不幸せな人がおられようと関係ありません、それはあなただけの感情なのです。

ですからどうか、あなたの優しい御心を
気に病まないでほしいです。
たとえ世界全体で見れば恵まれている方だとしても、あなたが辛くて苦しい時は間違いなく辛くて苦しい時なんです。声をあげて泣いたっていいんです。


私に道徳の授業内容を変える力は
残念ながら持ち合わせていませんが、
あなたの気持ちは心から支持したいです。
(もしかすると、意味が伝わるがために、この文章も小瓶主さんの心を抉ってしまうかもしれませんので、もしも読まれる事があるのであれば、ご注意を。あと、とても長くなったので、その点も予めご了承ください)

解る。

なんというか、言っちゃあ悪いがアホくさいんだよな。

満腹な人間は満腹だし、腹の減っている人間は腹が減っている。
食料が大切なものという認識は肝心だが、食料問題のある国や地域の問題を、食料供給の充実した中の人間の内、これ以上食べたら吐きそうって人に推し進めて、無理やり食べさせるが如きアホくささだ。

上も下も、そんなもんは比較的なものであって、どこを上とするか、どこを下とするかによって幾らでも変わりうるのに、勝手に最底辺を決めて、今ある現状を最上とするのもおかしな話。

人間の食料問題がと言うのなら、そこらで餓死する虫や野生の動物たちはどうなるというのか。

また、野生動物たちの中にも、ストレスからものを食べなくなってしまう、つまり食欲がなくなってしまう事さえある。

その他にも、生物としての食べ物の処理限界というか、人間として、アレルギーのある場合もある。

全体的な構図を知るのも確かに大事な事だし、満たされていない場所から見れば、満たされている場所は有難い事だというものから、当たり前だと思う事が実はそうではないと言う認識も大切な事だと思う。

だが、満たされている場所から見た、満たされていない場所という認識も、ほんの少し間違えば傲慢なものの見方になりかねない。
(助けるとか救うとかの言葉にも若干感じる事だが、俺はそういった所から、比べる事への失礼さを感じる)

その上、どのように満たされていようがいまいが、それぞれ抱えているものや、問題とされているものは異なるので、「あっちは貧しいけどこっちは裕福なんだ、食べ物は残しちゃいけない」と一辺倒に言われても、立場も違う、あちらの世界ではなく、いまここにある現状のなんの解決にもならないし、最悪ただただ的外れな言葉になってしまう。

教育として教えなければならないのは、もののあり方ではなく、そういったあり方から見えてくる認識を、どういった良い行動に結び付けるか、という所にあるのではないかと思う。

つまり、その人その人にあった、それぞれの立場から見た、それに沿った形の活かし方というものがある筈で、そこが大事な事ではないかと思う。

世界が〜、などという言葉で、確かに良い方向へ行けるものもいるかもしれんし、救われた人もいるかもしれない。
その言葉を使う場面の全てが適切でないとも思わない、が、そうでないものもいる事は間違いない。

そもそも、大人も結局は人だ。あまり考えていない場合もあるのだろうな。
あるいは横着しているのかもしれん。

創作物でよく、正義の反対は悪ではなく別の正義だとかいった、正しさの反対は、悪ではなく別の正しさだというものがあるが…

そもそもが、人それぞれ持っている、正しい感性や、こうありたいという理想、正常や普通だと思う感覚は、千差万別、バラバラなものの筈なのだ。

小瓶主さんの思う思いも、間違いとか正しいじゃない、小瓶主さんの持っている思いとして「当然」、「個人としてあって当たり前」の、正常な感覚だと思う。

(その個人の内へ感覚や、個対群などの違い周りの事が、教育においておざなり過ぎるように感じる)

小瓶主さんが出来ているような、その場への考慮、配慮もせず、一辺倒に世界がどうだの、便利な言葉として使い、あまつさえ「だから」などと、強制しようというのであれば、それはただ、個人的な正しさを押し売りしているに過ぎんのにな。

なんというか、「世界」という言葉がバックについてるから、偉い事を言ってる気になっているんじゃないか?
誰かが言っていたり、教科書に書いているから、あたかも正しい、それが全てにおいて当然な感覚だと疑いもせず鵜呑みにして、意味もよく解らずに使っているんじゃないか?
そういった、馬鹿らしい邪推さえ思い浮かんでしまう。

そんなもの、別の視点から見て、人への尊重も、個人への理解も何もなく、押しのけるだけのものであれば、押しのけられる当事者にとって「悪」でしかないものを。

まあそんな下らん話は置いといて、小瓶主さんが人を救いたいと思うのなら出来るだろうさ。

現に今、俺は、なんともモヤモヤした胸糞悪い、抱えていた思いがスカッとした。
自分と似たように感じる方がいて助かった。

それに、昔の俺は、別に生きていたくなくても、死にたくても、生きてはいたし、生きて来れたんだ。

どこに生きたい人がいようと、生きられない人がいようと、自分自身がそこにある事には変わりない。

いろんな世界があると知って、そこからどうありたい、どうしたいという事に関係はしても、今何が出来るか、出来ないかという事には関係ない。

小瓶主さんだって、そうだろう。

何が人じゃないのかはよく解らんが、小瓶主さんだって、生きる事や死ぬ事、人の事や自分の人生、いろいろな事を考えて、悩んでいるじゃないか。

十分過ぎるくらい「人らしい」と思う。

…ただ、相手への影響を慮れないような、そういった教師側の人間もいるし、大人といっても結局同じ人間なので、教師側も同様に道徳というか…
相手への思いやりを学ぶ事は、人間関係において大事かもしれんな。

文中からではあるが、小瓶主さんには人間関係における思いやりや節度もあるように感じるので、現状問題なさそうだとも思うがね。

小瓶主さんは、自分の持つ優しさなどから、自分ができる事の少なさに耐えかねたのかもしれない。

だけど、他の世界、他の場所の、それぞれの人がそうであるように、小瓶主さん自身にも、人生があって、何の価値もないと仰られているかもしれないが、その中で悩んできた時間もある。

それはある種辛くもあるかもしれないが、良くも悪くも、誰かが、取って代わる事は出来ない。
認識が変わる事はあっても、比較する事で、どちらがなくなるというものでもない。

それを偏っていると言うのなら、個人の感覚をないものとして扱う事、無視する事と同じだろうしな。

そもそも、小瓶主さんとして、世界の様々な人たちの事を考えると、そこから自分の事を悪いんじゃないかと考えてしまって、悩み、苦しくなってしまったのだろう?
なら、幾ら紛争地帯の人々から比較して見て「平和」であろうが、小瓶主さん自身の心の内は「平和」ではなく、穏やかではなかったのだろう。それもあって、人を助ける程の余裕がなかったとも考えられる。

そんな余裕もない状態、自分の悩みで手一杯な状態で、人の事を助けようとするのもかなり骨が折れる。
とても大変な事だと思う。

元気があって、余裕もあって、気が向いている時に出来れば良いよ。

疲れていると集中力も落ちるし、そのために失敗も多くなりがちになる。

募金する事だってそうさ。

…実のところ、募金する事にもいくつか問題があって、募金の集金されたお金が、不正に横領、支援したい国や場所へ届かず、集めた人達が勝手に使うなんて、馬鹿げた、悲しい事件もあった。

また、募金などによる食料供給の充実から、人口が増加して、さらに食料や、支援金、人手や医療、その他の教育機関が不足したりという事もある。
現状どうなっているか解らないが、その周りがおざなりだった事もあるしな。

支援するのはいい事なのかもしれないが、安易に支援しても、次の問題や、今まで積み重なっていた問題を大きくしかねない、表面化させかねない、というリスクもある。

先進国という、発展の段階にある国から比較して、産業などが発展、開発の途上とされる発展途上国への援助にもそういった問題がある。
(化石燃料やら、フロンガス、鉱物採掘および金属加工などによる大気汚染や、温暖化、住む場所や火種を求めた伐採からなる、森林減少、飲料水の確保の為の、地下水の急激な汲み上げによる地盤沈下など)

多分、そういった現地的な問題を知っている人も、教育陣の中では少ないか、なかなか複雑な事もあって、説明も難しいだろう、知っていて教えていないのかもしれんな。
(よく考えた方がいいと思うのだが)

まあ、金銭的に余裕がある時に、したい気持ちがあれば、募金すりゃいいよ。
余裕ない時に無理して金出しても、生活費が関わってくるとなれば、実生活的に困る事もあるだろうしな。
(逆に言えば、1円でもいいし、それが一人一人、積もり積もれば大きな支援金になる可能性もある)

遠いどっかの国やら、地方だけに留まらず、どんな人でも、支援したい、助けたいと思うのであれば、自分自身が元気であるかどうかも大事だと思う。

例えばお金も食べるものも全部分け与えて、その人自身がボロボロになってまで、倒れてまで、そんな必死な姿で助けられたら、どう思う?

感謝されこそ、多少なりともその人の事が心配にならないだろうか。

なので、自分自身の抱える深刻な問題というか、立っていられないような悩みがあるなら、それをなんとかするか、余裕があって元気な時、手を伸ばせそうな時に、助けになれる事はないか動ければいいんじゃないかと思う。

自分自身の体調管理や、元気や余裕。
助けようとする地盤として考えれば、そこを整えようとするのも立派な一つの出来る事だと思う。

まあ、動かなくていいための、見せかけのていのいい、そんな言い訳にはしない事も大事だがね。

道徳、思いやりをなす為には、地盤としてまず個人が存在する事が前提になる。

つまり、相手の意思の尊重のみならず、個人を成り立たせている、自分の意思の尊重も大事なんじゃないかね。

どちらも同じ人としての意思なのだし、社会的な立場は関係がないと言うか、そもそも社会を成り立たせているのは一人一人の異なる個人だからな。

教師と生徒や、上司と部下、親と子など、社会的立場を重視するのであればこそ、それを成り立たせる為にこそ、人間関係の基礎、道徳、互いの思いやりが大切になってくると思う。

とにかく、悩んだ事におこがましいなんて事はない。
小瓶主さんご自身の人生に関わる悩みだろう。

罰なんてこない。
それを言ったら、他の生き物たちはどうなる。
彼らは他の生き物を生きたまま食い殺すこともあるし、餌の横取りなどザラにある。

他の生命体への関わりを考える事もあるだろうが、あろうとなかろうと生きて死ぬ。

何も変わらんよ。いくら人間が、他の生き物より脳が大きかろうと、命は命だ。
生あるものは平等に土へと帰る。

まあ、解釈次第では、その「死」への理由付けとして、キリスト教でいう原罪といったような考え方もあるが、宗教は宗教だしな。

人間の認識が、本当に真実に近い所にあるかどうかは解らない。

俺自身、自分の事がおかしいかどうか、認識が狂っているかどうかは解らんが、少なくとも俺の持つ感覚からすれば、親御さんが放った「おかしい」という言葉はおかしく感じる。

例えば、獲物を殺した肉食獣がいるとして、それは殺された側や、殺された生き物の家族から見れば悪になるが…
殺した獲物を細かくちぎって、肉食獣の産んだ子供の為に分け与えるとなれば、その子供達にとっては善となるだろう?

正義や正しさの反対は、悪ではなく、別の正義や正しさだと書いた所と同じだ。

程度の違いこそあれ、俺が今自分の考えを説明しているように、親御さんからは、その時感じた親御さんが持つ基準や、当たり前だという感覚から来る「違和感」を「おかしい」という言葉として押し付けられたと言う訳だ。

つまり解るのは、親御さんが「おかしい」と思っているという事だけで、本当に小瓶主さんが「おかしい」かどうかも何も解らん。

また、親御さんが、小瓶主さんへ持つ、「何に対して、どうおかしいと思うのか」という事もよく解らん。

ただ、そう言う事を含めた上で、親御さんも同じく、人として、命として垣根のない人間だ。
経験数の違いや大きさの違いがあると言っても、小瓶主さんのように、誰かに泣きつきたくなる事や、ショックを受けた時、気が動転するような事もある。

自分の子供がこんなに苦しんでいると知った時、真っ当な親であれば少なからずショックを受けて、自分に非が、悪い部分があったのではないかだとか、色々と考える事もあるだろう。

そのショックを受けて、余裕のない時に、上手く頭が回らず、感情的に、思ってもいない事や、思考としてまとまっていない言葉を怒鳴ってしまう場合もある。
(そもそも、自分の感情を言葉で表現する事に慣れていない場合もある。年齢は関係がない)

俺も実際、死にたいだのなんだの言った時は、いきなりビンタされて、「なんでそんな事言うの!?」なんて怒鳴られた事もあるしな(苦笑)
(何故死にたいなんて言うのかって、口に出した俺こそ知りたかったわ笑)

そんなもんなのかもしれんな、深く考えて来なかったり、今までに思いもよらなかったであろう衝撃的な出来事にあった時の親の反応なんて。

まあ、なんだ、何が間違っている、何が正しいなんてものは、一人一人の感覚であって、人間関係の上で、正しさと正しさがぶつかり合っても、嫌な思いを感じる事や、最悪争いになってしまうので、その一人一人がお互い過ごしやすいようにするためのルール、基本的な事として考えられたものが道徳や、思いやり、マナーや礼儀とされるものだと思う。

人間関係から成り立っている、社会というものにおいて、そこが重視される訳だ。

その教育が間違っているかどうかと言うのも、正しいかと言うのも解らんが、少なくともある一つの人間関係の中では、小瓶主さんのように感じて生きてきた人もいるという訳だな。

正しいか間違っているかも解らないが、現実の一つとして存在している出来事だ。
この小瓶にお返事をする
誰でも無料でお返事をすることが出来ます。
お返事がもらえると小瓶主さんはすごくうれしいと思います。
以下はまだお返事がない小瓶です。お返事をしてあげると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。
今日も21時まで仕事。休日のサービス出勤。 これから1年乗り越えられる自信がない…もし1年乗り越えたとしても私はこの世界に合わないし必要とされてないのでは…? 無駄な努力 新学期しんどい。やることが多すぎて潰れてしまいそう 「空想の青春」とのすれ違い。 推しが批判されたのを知って辛くなった。どうしたらいい? あーやばいほんとに。何もかもがうまくいけてない。なんかこれ書くのもめんどくさくなるくらいもう動きたくない。いつからこうなったんだろ。 超短編小説「流血キャベツ」(タイトル通り、流血表現メインです) 最近の私、小瓶を流すのとかくれがを併用。落ち込みやすい人におすすめです。 みゃあ 死にたいのに死ねない。死ぬ勇気が欲しい。死にたいし生きたくないのに。 中学の頃、私はものすごい反抗期だった。大人になった今。今の私は反抗期の息子に悩みながら生きている トラウマ。私の癖がおかしくなったのは被害にあってから。そんな事は当たり前だと思うために何度も似たような体験を繰り返す。 もう今日から中学生だよ... もっと上手くなりたい。安定して叩けるようになりたい。きれいな音が出せるようになりたい。かっこよく魅せたい。自在にフィルを入れられるようになりたい。

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