感動と絶望の繰り返し。春だから?
よく分からない、君が。知りたくて堪らない
のに。眉間に皺が寄ってばかりだ。答えが
産まれようとしている。でも何かが足り
なくて、苦しい。とりあえず動いて五感を
働かせてみる。海を一望する建築の写真集を
見た時、これだと思った。まっすぐ歌うこと
を意識して歌った時もこれだと感じた。すぐに
埋もれてしまう。どうする?何か不純なものに
覆われている。でも、何かが分からない。
消さなくていいけれど避けてはいけない、
そういう微妙な位置にある。産道が狭いような。
原点に戻る。歌で言えば音程、リズム、音色。
人生の基本って何だろう。衣食住?だから
建築が出てきたのか。八百屋で買う野菜と
肉屋で買うお肉。卵を日に2つ。出汁から作る
味噌汁。芋。棗や当帰。最寄り駅の3駅前で
降りて走る。漢方の基礎って何だろう。理論。
問診。方剤。これらが患者を目の前にした時に
降りてくる。理論で音程を取り、問診でリズム
を取り、方剤で音色を出す。まっすぐな声、
囁くような声というように。やはり理論が
何より重要で、ここを外せば伝わらない。
民間療法のレベルでは良いかもしれない。
母親の子守唄は心地よい。書物を読み、
自分で問い考える力が必要。そしてレベルの
高い人たちに学ぶのが一番早い。恥をかく
度胸は必要かもしれないが。
理論を立体的に組み立てる作業が問診である。
方剤で仕上げをする。これまで理論のデッサン
を何百何千と描いてきて、ようやく定まりつつ
ある。もちろんこれからも更新し続ける。
それを清書する際に今ひとつ足りないのである。
問診、要は練習問題をろくに解いていない。
基本問題でさえも。これは自分が真似したい
アーティストや曲のリズムをひたすら聴くこと
ではないだろうか。
インスピレーションとは一体どこで繋がるの
だろう。一見関係ない所からのような気がする。
例えば音楽だったり絵画や建築や自然やスポーツ
など。自意識から引き出すものではない。不純な
ものとは何だろう。クイズを出されて答えが
分からない時のもやもやした感覚に似ている
のではないだろうか。それを絶望と呼び、
閃きを感動と呼ぶのかもしれない。