振り返れば自分の中学時代って一体何だったのだろうか…
得たものといえば、せいぜい傷つく事を厭わなくなった心、自己顕示欲を上手い具合に薄める手段といったところかな。
学校社会という特殊な環境で、いつしか心が歪みきってしまった人も多いのではないだろうか
自分の中学時代は、顔の良し悪しでは下の中、特定の運動だけは幼い頃から小学校高学年まで続けていたこともあってか他の人よりよくできたがそれでも基本的にそこまで運動はできず、美術や音楽で輝ける部分がなかったことが起因して、スクールカーストでいうところの底辺と三軍の境界線辺りをうろつく人間として認識されていた。
学力はその当時県内上位3%から1%未満辺りはあったが、不幸なことかスクールカーストに学力は含まれなかったので、逆に僻みの理由になってしまいすらした。
毎日のように容姿を叩かれ、自分はいつしか友人と勘違いしていた人からも「落ちこぼれなんだよお前は」と告げられてしまったのだ。挙げ句の果てに自分の身内まで陰口を叩く人間も現れる始末。自分が傷つく分には構わないが、自分のせいで自分の周りまで蔑まれなくてはならないのは流石に自分の心に響いたものがあった。
そんなことがあってか、辛いが最低限の内申点の確保のために中学への通学を余儀なくされた自分は、自分の本心を「偽り」、身代わりの自分を用意することで安息を得ようと考えた。それは、承認欲求を限りなくゼロに近づけ、自分にとって常に「都合が悪くなること」を想定した感情の選択をする「もう一人の人格」を用意することだった。
こうした努力もあってか、自分は「学校社会」という歪んだ特殊な環境で心の安息を得ることが出来たのだ。
今、公立中学の「スクールカースト」の底辺ないし3軍にいて辛いと思っている人がこの文章を読んでいる人がいるのなら、君たちに伝えたいことがある。
なぜスクールカーストが辛いのか、それは君が馬鹿正直に「本心で」歪んだ世界と対峙しているからなのだ。
そんな歪んだ世界に君の本心を晒すだけの価値はない。だから君は本心を「偽り」、安息を得ることを考えればそれで十分なんだ。
不登校や自殺は、歪んだ学校社会に対する戦略的撤退ではない。それは学校社会にまともに隷属しようとしたことに対する罪の代償と考えろ。
だから自殺などしてはならないし、不登校なんかになるな。君にだって従属する社会を選択することができる権利がある。君が忌み嫌う学校社会に否定されたところで君は君なのだ。
自分を偽ることで安息を得ることを「逃げ」というのならそれはその社会における強者の考え方だ。けど君はそうじゃない。君はその社会における強者である必要は無いのだから…