私たちは「死んではいけない教」に入信している。
新興宗教の2世信者、つまり親が信者で生まれてから子もそのまま入信させられることがある。
このような子は生まれながらにして、新興宗教の教えを受けているから自分で善悪が判断しにくい。
今の世の中には死に対して、マイナスなイメージがある。
自殺はいけない。
人が死んだら悲しまなきゃいけない。
死ぬことを考えてはいけない。
生きていなければダメだ。
なぜ、死んではいけないのか。
生きていることが偉いのか。
誰もわからないし、教えてくれない。
私たちは「死んではいけない教」に入信している。
死にたいというわけではなく、生きることと同等に死ぬことも考えるべきだ。
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ななしさん
自分の命だ。
どうしようと勝手である。安楽死の制度がないから自分で死ぬだけの話だ。
ななしさん
どう生きるかが、どう死ぬかに繋がる。
だから生きることを考えなければいけないのだと思う。
死に方は、生き方と無関係ではいられない。
愛し愛された人は最後も誰かに看取ってもらえるかもしれないけど、憎まれ嫌われた人はきっと1人ぼっち。
しかし、例え悪人でも、資産を築いたり何らかの役割を果たしたりしたなら、その利権目当ての人が見舞いや葬儀に殺到するだろう。
普段から飲酒運転をしている人は?事故で自分が死んでしまうか、或いは誰かを死なせてしまい社会的に死ぬか…。
死んではいけない教、ではなく。
「出来るだけ、納得出来る死に方をしよう教」なのだと思う。
自殺する人。
追い詰められていた、死ぬしかなかった、だから自殺した人を責めるな。
そんな声もあるけど。
そもそも、本人は自殺せざるを得なかった人生なんか希望していなかったはず。
いじめ、ブラック企業のパワハラセクハラ、騙されて借金、崩壊した家庭の育児放棄や虐待…そんな状況になりたくなんかなかったはず。
温かい人に囲まれて、幸せに生きたかったはず。
自殺することが仕方なかった状況だとして、自殺するしかなかったのだとしても、「これでいいんだ」なんて清々しく納得していたとは思えない。
「どうして自分はこんなことになってしまったのか」
「ハズレの人生だ」
「最後まで私はダメな人間だった」
運命を恨んだり、自己嫌悪でいっぱいになったりして、悲しくて悔しくて泣きながら逝くのだと思う。
そんな人は、本来いてはいけない。
誰もが出来るだけ優しく穏やかに死ねるように、そこへ向かってどう生きたらいいか自由に考え選べるように。
そんな風に生き方を考えることで、死に方も自然に決まるものだと思う。生きるのを否定して死を考えることは出来ない。
最後に。
「死んでもいいよ」は、いわば「死にたいんだね。そっか。死んでいいよ。私は助けないからね。勝手にどうぞ」って言ってるようなもの。
優しいフリして、実は私はあなたに何もしてあげないよという宣言。
だから言ってはいけない言葉とされているんだと思う。
ななしさん
自然から学ぶといいと思う。
どんな宗教より、自然は教えてくれる。
理不尽さも、残酷さも、優しさも、強さも、弱さも、奇跡も。
ジブリのもののけ姫とか、見ててしんどくなるほど、そこに凄く丁寧に向き合って描かれてると思う。
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