聞きたくないとはねつけることで、知らないといけない現実を知らないままでいてしまうこともあるよ。
薬物や犯罪について、家庭環境とか就活について、いろいろな噂や言葉が飛び交っているよね。
例えばどこから沸いてきた噂や言葉か、少しでも調べてみる意識はない?
その噂や言葉がデタラメだったとして、じゃあそのデタラメが流出することで誰が得しているの?誰が貶められているの?
そこから、デタラメを作っているものの正体が見えてくることもあるよ。
例えば危険運転の厳罰化なんかがそうだよね。
ある交通事故を境に、法律が改正された。一見、痛ましい事故で世の中が正しい方向に進んだように見える。報道も危険運転があったらすぐにニュースにするようになった。
でもさ、じゃあ逆に、今まではどうして甘かったんだろうね?飲酒運転やわき見への罰が、なぜ甘かったんだろう?同じように飲酒やわき見で死ぬ被害者はいたのにね。
警察が取り締まりを面倒くさがったとか、酒飲んで運転するトラック運転手がめちゃくちゃ多くて、トラックがめちゃくちゃ通る沿いの店がたくさんのアルコールを売りたがったとか、業界が警察や法曹関連やマスコミに圧力をかけていたとか。いろいろな闇事情が「噂」としてある。
そういう隠されているらしいことを知らない、気配があっても聞きたくないと知ろうとしないことは、危険に勘づく上でとても危険だと私は思う。
人間は想像力という大きな力で、他人の経験からも学べる生き物。積極的に情報を取り入れるに越したことはないんじゃないかな。