どうすれば、自分の疲れやストレスを測ることができていたのでしょうか。
どうすれば、よく判らない人並みを目指し続けられたのでしょうか。
どうしたら、自分がつらいことを、苦しいことを、周りの人に 適切に 伝えられたのでしょう。
しにたい 以外の言葉が見つからない。
本当は何て言いたいのかも判らない。
何にも無いなら、生きられないなら、
死んでもいいでしょうか?
死ぬ勇気なんてないから、迷惑なんて掛けたくないから、
自業自得で片付けられる自殺をしたい。
これが、今の夢。私の救い。
それを認めない世の中は、いきづらい。
誰も、悪くないです。
私が悪いだけ。
だから、誰も私以外をせめないで。
私が悪いんです。
消えたいのにできないから、死ぬことしか考えられない。
それも否定されるから、自分を多重化してスイッチの切り替えをしようとしたら、
そんな設定知らない と言われ、
まあ、当たり前の反応…ですよね、ですかね、わかりません。
じゃあ、どうやって、これから活きていけばいいのかくらい、
教えてくれてもいいのではないのですか?
明日が来るなと思うと、明日は必ず来るものだよ、と言われ、
知っています。そんな至極現実的なこと。
知っているから、知りたくないんじゃないですか。
もう、つかれたんです。
人並って分かりませんよね。努力しても「ひとそれぞれ」と全否定されてショック大きいこともたびたびです。
要するに人なんて当てにならない。実態がない。基準にする必要はないのです。
私は人は99.9%以上疲れることが分かっているので、考えないようにしています。それでも、仕事上必要だったりして付き合うと、やはりひどく疲れる。
消えたい、死にたいという気持ちよく分かります。
ただ、なかなか楽には死ねそうにないですよね。人から受けるストレスよりも、死への恐怖や死の苦しみの方がはるかに、比べ物にならなく大きいため、今は、将来の目標が「楽に死にたい」です。
そして思います。死はすべての人に平等に訪れます。
「ざまあみろ。全員死ぬんだ。」
つまり嫌な奴らも、あと50年もすれば跡かたなく消滅する。
そう思うと、違う境地が見えてきました。
50年以上たてば確実に消えてしまうのなら、全く当てにならないじゃないか。
よくまあ、50年後までには同じ苦しみで死ぬ同類なのに、それだけ嫌なことができるものだ、とかね。
そういう思考領域を増やせば、生きている他人は大分と小さくなりました。
お釈迦さまやその他の宗教家がそうだったように、死が一番怖いことだと思います。
自分に軸を持つことです。他人にどんな目に遭わされようと、自分は自分の見ている未来があり、考えている別世界があるのであれば、野良犬にかまれたようなものです。小事です。
人並にしようとするのではなくて、「私以外の人に仕方ないから合わせてやる。裏切ることはわかってるけどね。」と思っておけばいいです。
どうやらあなたは頑張りすぎているようですね
頑張ることをやめたら、いよいよどこにも居場所がなくなってしまう、そう思ってもいるようです
そして、もうこれ以上不毛な努力などしたくないようですね
いいと思います
あなたの文章からは、具体的に何について悩んでいるのかということが読み取れません
より観念的に、自分というものそのものについてお悩みでしょうか
多くの人に共通することですが、死にたい、消えたいというのは、あくまでも手段です
本当の目的は、苦しみたくない、楽になりたいということです
心療内科にかかるとよいでしょう
非常に勇気のいることですが、今あなたに必要なのは、あなたのその思いを、現実で誰かに打ち明けることです
死ぬのは、ひとまずその後にしましょう