【末っ子のB型】
私を苦しめてきたパワーワード。
これだけ聞けば周りの人は、1番甘やかされてわがままでやりたい放題な子というイメージが植え付けられる。末っ子だけでも十分にそのようなイメージがあるにも関わらず、更にB型というのが追い込みをかけてくる。
学生の頃も働き出した今も「なんだか末っ子っぽくないし、A型っぽいね?」と悪気なく言われる言葉が私にとっては刺さりまくる。
確かにそのようなイメージがわくのは仕方がない。ただ、育った環境が「末っ子」や「B型」の特徴よりも勝つことだってある。全ての末っ子が甘やかされるわけではないし、全てのB型が自己中でわがままなわけではない。
私には姉と兄がいる。
姉は年が離れているが、兄とは年が近く幼い頃からよく喧嘩をした。
基本的な喧嘩のパターンは、兄が私にちょっかいをだす→最初は少し我慢をしてもだんだん腹が立って泣き叫びながら仕返しをする→私の方が声が大きく目立つため、怒られるのはいつも私というものだ。
そんな私の怒られる姿を見て兄はいつも笑っていた。
それが許せずまた怒れば、またまた私が怒られる。
普通そのような喧嘩をすれば
「お兄ちゃんなんだから我慢しなさい」
「お兄ちゃんでしょ?下の子の面倒ちゃんと見なさい」
このように上の子が怒られると思うのが一般的なイメージではないか。
我が家はちがう。
兄が親から言われるのは
「この子うるさいんだからいらないことしないで」
たったその一言だけだった。
基本的に結果しか見ない親だ。
どうして私がこんなに大きな声で怒っているのか、過程を説明しようとしても、
「親に口答えするな」
その一言だけで話を聞いてくれることもなかった。
喧嘩に限らず、何をするにしても結果ばかり。
受験や検定試験は「不合格=勉強していない」
習い事は「賞が取れない=練習していない」
認めてほしくて頑張った。
他の人に言えば驚かれる賞も習い事で取ったことがあるし、検定だって一生懸命に取った。
それでもかけられる言葉は
「こんな賞が取れるのも審査員と相性がたまたま良かっただけ。こんなもので代表としていくなんてお母さんの方が気が気じゃないわ。」
「検定取れたの?教えてくれる先生が良かったんだね。」
どんなに頑張っても「ダメな子」「出来ない子」と言われてるようにしか考えられなかった。
嫌われていると思わざるを得ない言葉ばかりが耳に残って離れない。
それなのに私に対してだけは過干渉だ。
親だけでなく祖母も。
祖父母、そして曾祖母とも一緒に暮らしているような今時少し珍しい家庭だった。
過干渉に関しては祖母が親にも増して酷かった。
小学生の頃、門限が17時だった。
ある日のこと。
まっすぐ帰れば17時前に家につくはずだったが、遊んでいた友達が血相を変え慌てて私を追いかけてきて、幼稚園児の弟がいなくなったと言うのである。そんな友達に門限があるから帰るとは言えず、一緒に遊んだ公園を回って探した。ある程度すぐに見つかったので、門限を20分過ぎて家に帰った。
帰り道は罪悪感と焦る気持ちでいっぱいで、とにかく帰ればすぐに謝ろうと簡単に考えていた。
家に着いてドアを開けた瞬間祖母が待ち構えており
「あんた何時だと思ってるの!!!心配で近所中の家に訪ねに行ったし、警察にも行ったわ!!!早く今から全部に謝りに行くからあんたがちゃんと頭下げなさい!!!」
門限を過ぎてしまったことは怒られても仕方がないと思っていたが、まさかこんな大きなことに発展していたとは思ってもおらず、納得もいかなければ恥ずかしさと情けなさでいっぱいになりながら1件1件回って謝り、警察にも謝りに行った記憶がある。
そんな私にだけ過干渉な祖母が厄介で、周りに恥ずかしいことをしてほしくないと親も感じたためか、遊びに行くことに関して私にだけ非常に厳しくなった。
義務教育さえ終わればこんなことも無くなるのではないか、淡い期待をしながら過ごしていたがそんなに甘くはなかった。
大学生になると少し陰湿になった。
片道2時間半かかる遠い大学に通っており、5限のある日に授業が終わって友達と夜ご飯を一緒に食べ、少し話してから帰宅すれば日付が変わるぐらいの時間になった。
祖母は私に、
「遅くまで大変やったね。遠いと疲れるでしょう。」
そんな言葉をかけてくる。
しかし、伯母が来て祖母が話すことと言えば
「あの子夜中の遅い遅い時間に帰ってくるのよ。お化粧なんかして色気づいて。どうせ男侍らして遊んでるんよ、あー気色悪い。」
私の悪口ばかりだった。
祖母の部屋は私の部屋の隣で、襖1枚のみの簡単な仕切りで、声なんて全て聞こえてくる。
私の前ではニコニコ高い声で話すのに、襖越しに聞く声は別人かのようだ。耳を塞ぎたくなるような言葉もたくさん聞いた。悔しくて涙が出るときもあったが、なにも言い返せず気持ちなんて圧し殺して必死に耐えた。
そんな祖母もだんだんと介護が必要になった。食事の介助やトイレの介助。リハビリのお手伝い。母だけがするには大変で、私も手伝った。友達から遊びに誘われることもあるが、極力我慢をして。ただ断り続けるのも心苦しく、夜ご飯だけ友達と一緒に食べに行くことにしたときがあった。友達に会う準備をしていたとき、母に
「こんな状況でよく平気な顔して遊びに行けるね。あんたほんとにどんな神経してんの?最低だわ。」
そう言われた。
兄は毎日のように遊びに行って、夜中に帰ってくるような生活を過ごして、祖母の介護なんてしたこともないのに誰にも何も言われない。
寧ろ要領が良く遊びも仕事も両立できるし頭が良い。それだけでなにをしても基本的には褒められるのだ。
私は自分なりに必死に気を使って、遠慮して、なんとか1度遊びに行こうとしただけでもこんなに心無い言葉を投げられる。
現在の私は人と関わるのが非常に怖い。なにもかもがトラウマで、雁字搦めになっている。
「弱すぎる」「重たい」「人のせいにするな」「結局そんなの自分にも落ち度があるからでしょう」
そんな言葉で片付けられたり、もう傷ついたりしたくなくて。
自分を守りたいから家族が悪者になるよう記憶を改ざんしていると、そう責められたくもなくて。
家族でさえ話をまともに聞いてくれたり、気持ちに寄り添ったりしてくれないのに他人がしてくれるわけない。
信じられるのは自分だけ。
そう考えて誰にも相談せず、いや、できずに今まできた。
周りの人に好かれなくても、嫌われたくはなくて、周りの意見に賛同することしかできなくなり、わがままなんて以ての外だと思う。
それでもやっぱり人間だから、感情を殺せと自分に言い聞かせてもどうしても苦しくなる。
こんなところでそっとしたためて、自分の気持ちを整理することしかできない、情けない私です。早く消えて無くなりたい。