私は寝る前にいつも亡くなった祖母の火葬された後の姿を思い出す。
祖母が亡くなった当時私は小学3年生で、死については十分理解できているはずの年齢だったし、祖母以前にも曽祖父の葬儀で納骨は経験していた。なのに祖母の火葬の記憶だけ鮮明にのこっている。
恐らく曽祖父のときは、あれが人骨だという認識がなかったのだと思う。よく思い起こせば周りから火葬の仕組みについてはっきり教えてもらわなかった。「おじいちゃまは亡くなってこんなに小ちゃくなっちゃったのよ」としか言われなかった。だから人は死んだら小さくなると思い込んでいたのだろう。
でも祖母の火葬の際にその間違った認識を覆された。焼き終えた全身遺骨をそのまま目の前に持ってこられたのだ。その時初めて知った 死んだら燃やされるのだと。母が泣きながら押していたあのスイッチは着火するためのボタンだったのかとも後々気づいた。
小学3年生とはいえども、初めて火葬の仕組みを知った衝撃は大きかった。それについ先日まで元気だった祖母がいきなり骨になってしまったこともショックだった。
もう8年ほど経ったが、未だにショックだ。最近はショックというより怖いという感情の方が強い。家にある仏壇に近づくこともできない。
それに夜になると火葬時の出来事を思い出す。目を瞑ると余計鮮明に蘇るので落ち着くまでは眠れない。電気を消すこともできない。
たかが遺骨を見たくらいで‥と思うかもしれないが私にとってはかなりトラウマな出来事だった。
それにこれから両親が亡くなったら、両親の火葬に立ち会わなくてはならないという将来への不安もある。もっと言えば自分もいつかは燃やされるのだ。不安の連鎖が止まらない。
文字通り、脳裏に焼き付いて離れないまま8年間が過ぎたのですね。昨日までしっかりと肉体を持っていたのに、今日には小さくなっているという現実が、主さんの心に爪を立てているのだと推察いたします。
小瓶を読んで、祖母のことを懐かしく思い出しました。紫色が一等好きな人でしたので、許可をもらって紫を基調とした絵を棺に入れました。焼きあがってみると、絵を置いた辺りの骨が紫色に染まっていたのです。従姉が泣き笑いしながら背をポンポンと叩いてくれたのが印象的でした。何となく、祖母はあの絵を持って逝ってくれたのだなぁと思った記憶がございます。
さて、主さんは『楽土へ行くためには、この世での肉体から脱出しなければならない』という考え方をご存知でしょうか。
(話が逸れますが、『魂の重さは21gである』という説は、近年の研究によって否定されてしまいました…初めて知った時は衝撃を受けたものです)
ひいお爺様もお祖母様も、浄土へ行くために小さくなったのです。なにぶんスピリチュアルなことですので真偽のほどは分かりませんが、いわばお骨とは、『勝負服』であると私は思います。着替えたら物理的に小さくなっていた、というだけなのです。
これまでに亡くなられた方の数を鑑みると、天国とは満員電車のようなものなのかもしれません。一気に厳粛な気持ちが立ち消えてしまいますが。
もしかすると、技術の進歩で荼毘自体がなくなるかもしれません。
人生最後のセレモニーにラフな格好で臨む心配がないと考えるとお骨の姿もなかなか良いと思うのですが、いかがでしょうか。