今日は気持ちいいくらい晴れてますね。
あの日は晴れていたのに、空は曇っていました。
長田区の火事の煙が空を覆い尽くしていました。
悪友の家は長田区でした。
ギリギリ全焼でした。
彼女と連絡がついたのは1か月後でした。
お互いの無事は友達を通じて分かっていましたが、ちゃんと分かったのはその時でした。
「生きとったか」
が彼女の一言目でした。
笑って…泣きながら、
「生きとったわっ!」
って言いました。
その瞬間まで彼女の居場所も分からず、劣悪な避難所生活でインフルエンザにかかってないか(私自身心労でかかり、医者にもかかれず苦しみました)本当に無事なのか色々心配で、彼女に関する記憶が消えたりすり替えられてしまい、ある瞬間そのほころびに気付くと、彼女の苦しみや悲しみを思い、自分が何も失わなかった事(ライフラインは止まりましたが)を思うと、叫び出したくなる衝動にかられました。
震災に関する事全てから逃げたくなりました。
だから、ずっとルミナリエを見る事が出来ませんでした。
後に旦那となる人に出会い、全てを話して泣けた時、やっと震災と向き合う事が出来るように、一緒にルミナリエを見る事が出来ました。
それから、少しずつ話せるようになりました。
泣けるようになりました。
15年経って、風化するものもありますが、今あるものが幸せである事を自分の中で再認識したい為に書かせていただきました。
お読みいただきありがとうございました。
m(_ _)m