1/8は
ガリレオガリレイとマルコポーロの命日だそうです。
人の死、とは
一体何なんでしょうか。
漠然と死んだ後は天国に行くでも良いですし、死んだ後は唯の無しかないと言う考えもあながち間違ってはいないと思います。
人は何故
自らの死について
深く考えられるのでしょう。
普通は
自分の最期についてなんて
考えたくも無いでしょう。
けれど
人は何かしらの場面に直面した時
ふと、自分の死について考える事があります。
何故、考えるのでしょう。
死にたくないから?
早く死にたいから?
肉親の死に直面したから?
愛する人が死んだから?
それとも、
もうすぐ自分は死ぬと決めているから?
もしこの深夜に
眠れない、眠くない。
そんな気分な方々は
少し死について考えて見て下さい。
そして結論を教えて下さい。
何故自分は死ぬのか。
何故死ななきゃいけないのか。
何故死ぬ事を決意したのか。
そして
自分はこれから
死に対してどうして行くのか。
それも考えて見て下さい。
その結論が出た時、
貴方は何を感じますか?<br><br><center>[この宛メをメールで取り寄せ(空メ)]</center>
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小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください
ななしさん
はじめまして、こんばんは。
当たり前ですが、個人的な見解です
自分の死が、生命活動の停止ならば
それは生命が致死率100%であるから
死の必要性は、生命の法則であるから
自分の死因が自殺であるならば
自己の中に自殺しか見つけられず、無にしか縋れない状況に在ったから
若しくは、現実を喪失する事で幻想との同一化を謀らざるを得ない状況に在ったから
死には、生命活動の停止の他に幾多に渡る種類があると思います
例えば実存の喪失は、死であると思います
感情が欠落した状態も
周りの命を亡くした時も
好きなものがなくなった瞬間も
死と同一であると思います
当たり前ですが、人それぞれでしょうね
死ぬまで考えないままの人間も居れば
物心つく以前から考え続ける人間も居る
結論にも至らないのではないかと思います
単純で複雑なものであるし
体験、経験の無い記憶もまた無でしょうし
自分は不眠症なので問題ありませんが
眠れない人に、こういった話は少し刺激的かもしれませんね
じゃあいつならいいんだ、となると
まぁ、いつでも良いんでしょうね
偉そうに見えてしまったらすみません
言葉は難しいです
乱雑な文章、失礼しました。
ななしさん
いやぁ、それって一個の自分であってもその時々、年齢、精神状態で全く違う答えがでるから…。
自分の境遇を嘆いて死にたいと思ったり、死のうとしたり、交通事故に遭って死にたくないと思ったり、子供を産んで命の始まりに直面したり、人の死に直面したり、
様々な経験をしてきて、死にたいとも思わない、死にたくないとも思わない、死の意味も必要と感じない
今現在の私が“死”に対して思う事は
「私の死に際に私はどういう感情をもつんだろう?どんな死に方をするんだろう?」
と、たまにちょっと頭をかすめるだけですね。
37歳主婦
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