今日、私は逃げた。
自分の生活の中心から逃げた。
もう何も考えられなくなって、とにかく辛くて、逃げたくて、逃げた。逃げても逃げても自分の心からは逃げられなかった。
気を使って笑う事に疲れた。
気を使い続けることに疲れた。
何もかもに疲れてしまった。
嫌われてないかとか、呆れられてないかとか
あ、いまこの人こーゆー事思ってるとか
人のことを気にしすぎてしまって
疲れてしまった。
裏を読もうとしてしまう。
そして、読めてしまう。
少しのボロを見逃せないでいてしまう
耐えられない、たまらなく辛い。
人の顔色ばかりみてしまう。
目の奥の色で感情が分かってしまう
苦しい、苦しい、苦しい苦しい苦しい
辛い時くらい、自分のことだけ考えられればいいのに
ゴミはゴミ箱でしょう
クズもゴミ箱でしょう
粗大ゴミでも何でもいい
誰かに捨てられたら、わたしも捨てきる事が出来るのに
こんな私が思いつくのは
周りと私の間に壁を作ること
閉じこもって
苦しくて仕方なくても
我慢して、我慢して、
ゆっくり少しずつ心をころす
そんなこと。
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ななしさん
周りの目を気にして
周りの目に怯えて
無理に笑う。笑いたくもないのに
笑うのはきっと弱い自分を隠すため
弱い自分を守るため
その行動自体が反しているともしらずに
でも私はその行動を止めることはできない
とても臆病者だから
なにもかも簡単に投げ捨てされたら
どれだけ楽なんだろう
そうやりたきゃやればいいと思うんですよ。
でもね、辛い時はその反対をやれってのが定説です。鉄則です。
嫌われてなんぼです。その時手にする途方も無い自由さ、開放感。想像してくださいね。
他人はあなたのことそんなに構ってる暇は無いですよ。せいぜい1年です。
壁を作ってとじこもる。オッケーです。その間やることは自分ならやりたいこと、またはその精査です。どうかその時間をたっぷり味わってくださいね。
逃げるなら徹底的に。
そして逃げた先の世の中は主さんが知らないくらい面白いもんでゴロゴロしてます。保証します。
ななしさん
昔、他人の目を気にしすぎて過ごす日常に嫌気がさしていた。
ある日、気にしても周囲なんか変わらないし気にするだけ損だと思考が察知し出してから私の思考が180度変わったんだ。
それから昔の自分なら今この状況下に立っていたら違う行動を取るんだろうなと客観的に思い始めた。けど昔の皮を脱いで、良い意味でも、はたまた悪い意味でも今の自分が好きになったし、前よりか断然今の自分には自信もある。ようは周囲を気にしなくなった時に人は変われるということ。周囲を気にしすぎているうちは心が弱い証拠でもあり、それと同時に自分の軸すらままなっていないから、崩れ去るのはいとも簡単であるという事。
ななしさん
人に嫌われたっていいと思う
人に好かれるようにすることってそんなに大切じゃないよ
嫌われたって自分の生きたいような自分になればいいよ
ななしさん
これって回復するのかなあ?
私は幸い、あまり家族以外の人と接しなくて良い環境に置かれてるから気楽に暮らしてるけど、未だに他人は怖くて苦手。
回復したいなあ。
ななしさん
昔は私も空気を読みすぎて、そんな自分のことが嫌いでしたね。
自分が素の(本当の)自分になるためには、自分を知って、なるべく心の声に従って、他人なんて関係なく自分を好きになること、だと思いました。
自分を知る、ということは、もしかしたら悩みに悩んで、絶望し、終わりのない葛藤が続くことかもしれません。でも、そんな最中、ふとしたきっかけで、ふとした奇跡で、自分を信じられるようになるかもしれません。
現に、自分がそうなのですが…自分の心を信じる力というのは、あなどれません。
わがままに生きても、あなたらしく生きられれば、それでいいんですよ。あなたが望む世界が、そこにできるはずです。
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