苦手な友達がいる。
あることをきっかけに、いつも一緒にお弁当食べたり喋ったりするグループの皆が同じように苦手だと感じていることを知った。いや、むしろ嫌いなんだということを知った。
ほっとすると同時に、私は皆にどう思われてるのか不安になった。
私は皆が嫌いだと思ってる人に優しくする。その子が来た瞬間、皆の顔が曇ったり反応が薄くなったりした時、私はいつの間にかその子に声をかけている。
それを見て皆、私にこう言う。
優しい 思いやりしかない 根っから優しいんだね 鈍感 もっと自分の気持ちに正直になっていいんだよ 疲れちゃうよ
でも私、皆が思ってるほど優しくない。
皆が嫌いな人に優しくして、自分は良い人って思われたいだけだと思う。
皆が私に言う優しすぎるは、勘違いだよ。
中学のとき、友達と離れちゃってなかなかクラスに馴染めなくて一部の人から、ちょっと陰口を言われてた。
その時の自分を思いだして、嫌だから。
自分がされたら嫌だから。
優しくしてるだけなの。
そこに優しさはない。
偽物の優しさなの。
皆は私のことどう思っているの?
ジョーダンっぽく聞いた。
皆、本音ぶちまけすぎー!!
私のことも陰で言ってんだろうー!!笑笑
って感じで。
そうしたら、
そんなわけないじゃん!
○○は本当に良い人だって思うよ!
○○のことムカついたり嫌いになったりしたことない
そう言ってくれた。
本当なのかな。
何だか不安でいっぱい。
そして、偽善者な私が大嫌い。
本音を言う皆の方がよっぽど良い。
私だって、心の中では
アイツムカツク ウザイ だるい 今の発言傷つく
そんな風に思ってる。
ただ皆の前で言わないだけで。
家族にいったり日記に書いたりしてる。
だから私の方が嫌なやつなんだよ。
最悪なやつなんだよ。
私なんて嫌いだ
一人になる辛さを知っている小瓶主さんだからこそ出来ることですね。他の人にも小瓶主さんの優しさが、広まっていくといいなと思います。「偽物の優しさ」というよりは、私みたいな思いをしてほしくないっていう「思いやりの優しさ」のように思いました。「偽物の優しさ」って人の評価を気にしてすることだと思うし、皆の嫌な雰囲気に逆らってまですることは、周りの評価を気にして行ったことではないはずだと思います。
相手に対しての不満を自分の中だけに留めておくことはとても難しいことだと私は思います。だからと言って、あらぬところで誰かの不満を言うと、今度は不満を出した人に対する不満がどこからか出てきて、いたちごっこになってしまうと思ったりです。だから、不満の出し方を工夫しないとなと思います。小瓶主さんは人に対する不満を日記に書くことで自分の中だけで終わらせたり、家族という信頼できる限られた人に話すことで完結させていて、いいことだなあと思いました。
個人的に不満の出し方であまり良くないなと思うのは、「社会的な場所」で不満を言うことだと私は思っています。それが、その人本人に伝わり傷つけてしまうこともあるし、不満を出した人の印象が悪くなることもあるからです。
不満すべてを自分の中で終わらせることは難しいので「家族、限られた本当に信頼できる人、心理の専門家」の中で終わらせることが良いことだと私は思っています。そして、どうしても伝えないといけない不満は本人に直接伝えることです。