※偏見丸出しかもしれません。ごめんなさい。
大学生です。
ここ1年の話。ずっと気分が持ちあがらない。大好きな場所へ旅行に行ってもいまいち盛り上がれない。某テーマパークへ仲の良い友人と行ってもたのしくない…「周りが楽しそうだから無理矢理楽しそうに見えるように演技をする(だが演技が下手なので恐らくばれている)」という友人にも、テーマパークにも失礼な行為をしてしまう。
原因は分かっている。自分の心に刺さる言葉ばかりネットで探しているからだ。しかしこの行為を続けていないと自分は「サンドバッグ」になってしまう。
ほら、心にグサッとくる言葉ほど受け止めるべき、とか言うでしょう?
「鬱病は甘え」「みんな辛いんだからお前だけ甘えるな」「頑張らないと何も変わらない」「○○(病気の名前だったり)だからと言い訳する前に努力しろ」「現実見ろ」「逃げるな、逃げなくても死ぬな」「○○は社会のゴミ」「努力したって形にならない?それは努力じゃない。もっと努力しろ」全部正しいことだ。ほとんどの者はこう思っているのだ。ネットがすべてではないとはいえ、掲示板・ツイッター・ブログと形を変えてもあまりに多いのだから皆の本音だととらえてもよいだろう。
それなのに、ああ、どうして正しいことなのに辛い気持ちになってしまうのだろう。正しいことなのだから受け止めて改善すれば良いだけなのに、何故自分の心は傷ついてしまうのだろう。泣いたって何も変わらないのに何で涙が出てしまうのだろう。
多分この吐きだしも遠くにいる自分にしてみれば「そんなことないよっていってほしいだけ」だったりする。
ここまでなら問題ないと自分でも思う。ただ、最近になって友人にこの言葉をぶつけたい衝動がハラワタに沸々と湧き出しているのだ。
「バイトしてて忙しくて辛い」といっている友人に「お前が選んだバイトだろうが。嫌ならやめろ」
「単位また落とした」といっている友人に「お前が勉強しないからだろうが。バイト?あの子もバイトしてるのに単位取れてるけど?(笑)」
「(就活が不安な友人)ニートでも自殺せず生きていればそれでいい」「は?そりゃねえよ。勤労の義務果たしてないし生きてるだけでいいとか甘ったれんなよ」
「女子力ほしいなあ」「そうやって言ってる暇あったら努力しろよ」
他にもありますがきりがないので。
こんな事言ったら嫌われること間違いなしなので言いませんけどね。
こうやって正しいことを脳に刻み付けておかないと社会に馴染めなくなってしまう。何とかして社会に溶け込まないと。甘えない(≠頼らない)ことは社会人の必要条件だ。理不尽なことがあっても前向きに捉えなくては。
社会人はやはり素晴らしい。彼ら彼女らはこれらのことを「頑張る」ことなくやってのけるのだから。自分と違って。
名言とかあんまり考えてはいないけど
自分との闘い って言う言葉には重みがあるように感じる。
勉強も、何をするにも他人と比べてるばかりじゃなくて比べる前に努力するしかないんっすよ。
努力したぶんだけ実力も自信もつくし、だから楽しようとかしか思ってないような人は成長なんか出来ないし薄っぺらな人間になるだけ。自分が自分に甘えていてばかりで何も特技とか無いから余計あぁくだらない薄っぺらな事しかやってこなかったんだなって実感したんで。
ここまで来たら残りの人生は時間は大切にをモットーに勉強しっかりして自分自身に列記とした確かな自信と誇りを持てるように頑張らなきゃなと思いました。だから周りにも振り回されないように軸を持って過ごす事が今の自分なりの生き方です。