パーツ選びの人生になってしまった。
服はどんなのがいいとか、体型はどんなのがいいか、顔つきはああいう感じがいいか、住む場所はどこがいいか、今ほしいのは何か、何を食べたいか
とにかく自分を満たすためのパーツ選びに必死です。
でももうやめたいそんなことは。それは自分じゃなくて自分の周りにあるしょせんパーツだし、
もっと根本にいついかなる時も変わらずにある自分というのがあるのを知っている。
その自分を試すように生きたい。 でもそうしようとしても何かを選んでしまうのは最早成り行きだ。
もしかしたら本当の自分など無くて、常に自分を偽ろうとしてしまうのが人なのかもしれない。
それでもやはり、自分を体現できるならやってみたい。
>ボロ屋に住んでてベンツ持ってたら変ですね。
変、って基準は、誰の基準?
一般、世間体?
一般、世間って何?(自分にとって)
自分にとってのバランスの良さ、こころがよろこぶ
ちょうどいい、は、一人一人みな違う。
形も違う。
でも、家主は同じだから、意図しなくても
引きで見ると、調和はとれていることは多い。
調和というのも、他人から見たもの。
自分から見たら、心地が良いと思える、違和感があまりなければ
調和がとれている、と、私自身は思う人。
(これは、みな、違うかもね、受け取り方は)
以前は、ボロ屋の家賃より、駐車場代が高くて
ベンツもってるひとって、愚の骨頂だと思っていたけど
日を追うごとに、一度の人生、もう、いいじゃん、それで。
その人、幸せならいいじゃん、って思う気持ちが強いです、
家庭を持っている人なら、少しだけ、譲歩して欲しいと思うけど
(予算的に)
それでも、基本はお互いに、
「自分が」したいこと、なるべく出来る状態で
多少、貧乏でも目がキラキラしてるほうが
私はステキだなって思います。
話が少しずれましたが、思っていることを書きました。