“死ぬ”って、怖いですよね。
実はすごく身近にあるのに、普段はそんなこと気にもしないで過ごしている。
大切な人を喪ったときや、大切な人が悲しんでいるときにしか、その存在を強く実感できない。
“死”について考えるとき、必ず今まで出会った“死”を振り返る。
けれどそうすると一緒に悲しい記憶も思い出してしまい、だんだん泣きたくなる。
ついには、考えることがつらくなって、思考を止めてしまう。
でも、いくら思考を“死”から遠ざけても、必ず“死”はすぐ近くに現れる。
自ら“死”に向かおうとする人。
お願いです、思い止まって下さい。
今の状況がどれだけ絶望的で救いがなく思えても、あなたの存在を必要とする人は必ず現れます。
信じられないかもしれない。でも、信じて欲しいんです。
必ず「あの時死ななくて良かった」と思えるときが来ます。
“死ぬ”って、怖いことなんです。
死んだら何もかも消えてしまうんです。
死んだら誰かが悲しむんです。
死んで悲しんでもらえない人なんて、誰もいないんです。
事故や病気で突然命を失ってしまうこともある。
だから今日まで無事に生きてきたその命、大切にして下さい。
自ら断ってしまわないで下さい。
お願い。<br><br><center>[この宛メをメールで取り寄せ(空メ)]</center>
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください
ななしさん
ありがとうございます。
毎日死にたいと思っている者なのですが、このような文の投稿は珍しく一歩、頑張ってみようかと思います。
ななしさん
九州・天草 在住の (チャパティ三好)と 申します。 インドの ベナレス に 往かれてみては? そして、バスで ネパール の ポカラ を 訪れて みてください。 あなたの 悩みは 吹き飛びます。 シンプル・ライフ
ななしさん
送り主さんの言う事はすごく解ります
“死”に逃げても何の解決にもならない
ただ、未練だけが残るだけだと思います
遺された方々の気持ちが痛く解るんです
その気持ちは一生消えることはないですしね
それに“死”を認識してない人って沢山居ますし、他人事のように思ってる
だから軽々しくと“死にたい”や“死ね”等と口ずさむ
僕は、そういう人が一番嫌いなんです
他人の傷みや気持ち、境遇を知らずに軽々しく言うのはおかしいと思います
乱文すみません
BY黒朱 真輝
ななしさん
あ…
以前小瓶であったなぁ
「必ず幸せはくる」「必ず人は現れる」「貴方が死んだら悲しむ人は必ずいる」そんな言葉で救われるなら死にたいなんて思わない、奇麗事は聞きたくない
という内容の悲痛な心の叫びでした。
あと、今病で死にそうな友達の兄弟と代われるものなら代わりたい!とか、車に轢かれないかといつも願ってる、とか。
どちらも、死にたくて何度も首にひもを掛けたりビルの屋上に立った私には痛いほど共感できる言葉でした。
36歳主婦
ななしさん
あなたの優しさに感謝します。
でも、必要とされていない、取り替えの利く駒でしかない自分が居ます。こればかりはどうしようもありません。でも、死にませんよ。我が儘だから(笑)
ななしさん
綺麗ごとかもしれません、ごめんなさい。でも、“死”って少なからず周りに影響を与えると思うんです。
先日、幼なじみの父親が亡くなりました。幼なじみのクラスメイトである私の友人が、そのことで悲しんだり、深く考えたり、憤慨するのを私は見ました。その友人は幼なじみと話したこともなく、ましてその父親と知り合いというわけでもありません。それから、この話を聞いた別の友人も一緒に悲しんでいました。この友人に関しては幼なじみの顔すらも知りません。
一人の人の死がこれほど大きな影響を与えるのか、と思いました。
恵まれている事例なのかもしれません。けれど、そういうこともあるんだと、一意見として知って頂ければ有難いです。上手に言い表せなくてごめんなさい。
それから、黒朱さん。
この前そういう(黒朱さんが仰ったような)体験をしたことがきっかけでこの宛メを流そうと思ったので、黒朱さんが私の言いたいことを代弁して下さったように感じられました。有難うございます。
私や私の幼なじみの様な、大切な人を喪って悲しむ人が少しでも減ればいいのにと思っています。
だから、そのためなら少しくらい自分に我が儘になったっていいと思います。そのくらい、生きているということは重要なことのはずです。
お返事頂けて嬉しかったです。
うまく言えなくて本当にすみません。
送り主でした。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
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