#.01 生きることの大切さ
「死にたい」
なんでそんな事を、人は言うんだろう?
生けているから感じれる事。辛い事。
生けていたら、きっと幸せが来るに違いない。
今、苦しい。でも、明日になれば幸せになれるかもしれない。
例えばさ、ずっと雨だったとする。
そして、ある日晴れになった。なんか、暖かい気持ちになれない?
ずっと晴れだったら感じられないこの気持ち。
ね?人生だってそう。
だから、一緒に生きよう。
つらいから死ぬ。それは、ただ逃げうことになっちゃうかもしれない。
『誰も悲しまないから』そんなはず、きっとない。一人でもあなたのために泣いてくれる人いるから。
きっと、幸せになれる力があるから。あきらめちゃ駄目なんだと思うんだ。
死んだって、幸せになれる確率なんてきっと50%
苦しくなる確率も50%
死んだって、何処へ行くのかも分からないし、幸せになれるなんて知らない。
死ぬ。色々考えたら怖くない?
あ、今の周りの人達が嫌ならば、少し離れればいい。
遠いどこかへ旅をすればいい。違うとこへ行って、静かに暮らせば良い。
人間はきっと、卑怯な動物だから。
だからこそ、色々な気持ちがあるんじゃない?
・・・・・・泣きたかったら泣いて良い。
無理に涙を我慢する理由。そんなのないでしょ?
死にたいと思っているあなたは、きっとデリケートなんでしょうね?
自分を持つ事は多分、難しいかもしれない。
でも、色々な経験から人間は強くなれると思うの。
だから、死にたいと思ったあなたはきっと、今は未熟でもきっと強い人間になれる。
いつかきっと、世の中の人みんなが笑顔になれますように――・・・・・・
生きている人間より
<center>[この宛メをメールで取り寄せ(空メ)]</center>
2008.6.22.22時
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ななしさん
すごい素敵だと思いました
ななしさん
ありがとう
私は今、死ぬことは考えてなかったけど、落ち込んでた。
勇気貰った。
今日もがんばるね!
一回でも多く
笑顔になれるように!
ななしさん
死による開放
死の選択は存在原理に真っ向から対立するからこそ根深い問題であり、命を軽んじている点で軽い問題であります。
死を選択するには幾種類かの原因が存在します。
救いの手が間に合わなくて選ばざるを得ない場合、根本的な問題解決のスキルが皆無で状況的に絶望的な場合、病気の場合など、様々あります。
確かに逃げでしかありません。今、自分を取り巻く状況をそのまま丸投げしてしまうからです。
しかし、近親者も恋人も友人もいない天涯孤独の身になれば、誰が泣き悲しむのでしょうか?
人知れず逝きさえすれば悲しみようがありましょうか?
また、病気で死にたいのなら、甘えの一面もありまだ居きる余地はあるかもしれません。しかし病気による絶望は根深いのです。また、死を目前とした病気ならどうでしょうか?
人間関係で死にたいのなら、酷い虐めがあるかもしれません。
操業や投資で失敗し、司法的介入が間に合わない場合はどうでしょうか?実績も残し方次第で屑でしかないのです。
それに、精神的な負担でしかないお荷物に成り下がった者に手を差し伸べてくれる篤志家はまずは巡り会えません。
それなのに生きねばならないのはあがることのない土砂降りで苦痛以外の何者でもありません。
死の選択はまさに解放なのです。
生という選択
でも、あなたは一生懸命考え、出来る限りの手を使って、見ず知らずの物まで励まそうとしてくれました。
そのことに謝意を表し、生きることに専念したいと思います。
ありがとう。
ななしさん
私はネガティブだから、
「本当に苦しい思いをしたことがないからそんなこといえるんだ」
なんて考えてしまいます。
「死ぬことで幸せになんかなれなくても、今生きているよりは
ずっとずっとマシ。」
そういう考えの人が世の中には
たくさんいるんです。
きっとあなたは今幸せなんでしょうね。
ななしさん
「死にたい」って思ってる人は、そう簡単に希望を見いだせないんです…。
そんな希望を何度も抱いて、それも何度も打ち砕かれて…。結局希望を見いだせないからこそ死を望んでしまうんですよね。
それでも貴方のその優しさはとても心に響きました。
貴方のような優しい方が居るなら、世の中捨てたものじゃないですね。
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