いじめられている人、愛に飢えた人が愛について考えると、意見交換する相手がいないので独りよがりになり、愛されていない自分が、いかに愛されているか錯覚するかがテーマとなり、それはそれは悲壮感溢れる愛の定義の誕生ですね。
会ったこともない子供のために募金する人がいるでしょ?
臓器提供してくれる人がいるでしょ?
お年寄りに席を譲ることのできる人がいるでしょ?
ほら、世界は愛で満ちている。
僕に向けられる愛なんて、一つも無いのに。
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ななしさん
私も愛されていないと感じます。また、誰も愛することができません。
私の周りの誰もが偽善者で、キレイごとばかり言います。小瓶主様が言う通り。
見たこともない「被災者」というひとくくりの人間達に、父は紙幣を贈ります。
……私には一円もお小遣いをくださった事がないのに。……
見たこともない、「難民」という沢山の人間達に、兄は勉強を教えに旅立ちました。
……私には一度も勉強なんて教えてくれなかったのに。……
身近な人に愛情を注げず、なぜ離れていってしまうの?私はこんなに寂しいのに…。
ななしさん
でも、いままで生かしてくれてるわけでは?愛って恵まれるか恵ませるかの選択じゃないと思うんです。確かに愛って難しいし私も分かりません。でも分からないから小さな愛に気付けないんだと思います。だから実際に誰かに自分が愛だと思うことをしてみてください。少し上から目線の長文ですみません。
ななしさん
愛は、見えません。定義もありません。
個々が信じれば、そこにあるもの。
沙樹
ななしさん
愛を感じるためには、愛を与えなければなりません。
それが愛なのです。
究極の自己満足ですよ。
それでもいいじゃない。
ななしさん
読後、最後の一行だけが、この人が言いたかったことかな?と
感じました。(他は蛇足?)
「僕のことを愛して」・・と、伝わってきたけど。
なんとなくね。
まいたん
ななしさん
向けられる愛に気づくのは難しい。
貴方の小瓶に返事を書くのは、そこになにかしらの愛情があるからでは
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