赤子を
病院に連れてった
そこでは
我が子を見るなり
拉致っていく
おねえさんがいて
今日もまた拉致られ
なにやら彼は
机に座らされ
みんなから
もてはやされていた
それをすごく
不思議な心持ちで
見ていた
私から生まれたものが
私の知らないところで
世界と関わって
人の思いを受けている
私はといえば
かやの中のような
かやの外のような
急に自分の存在が
古くなるような
これから
こういう思いを
幾度もするだろうが
その時に自分が
人間を育てるのに
費やした時間を
損得勘定で
はからないように
できるだろうか
いいじゃん
今もおもしろいよ
と笑って
言えてるだろうか
そんなことを
考えていました
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ななしさん
産まれた時点で、どんなに小さくても個人なのだと思う。
社会的な意味ではなくて、物理的に独立した存在であることには違いない。
そう考えれば自然じゃないでしょうか~
☆彡
ななしさん
ん~不思議な感覚ですねぇ。私はその点、子供との繋がりの感覚が鈍いのかなぁ…お腹の中で動いてる時点で、異質のモノなんですよね。
臍の緒を切られれば尚更、私とは異質のひとつの命。
私(と旦那)が作り出したものだから、保護・観察・注意・養育義務は重大責任だ、というだけで。
赤ん坊だろうが大きくなろうが、
人間社会でどんどん揉まれてちゃんと成長してくれよ、みたいな、あなた(子)も好きに生きてくれ、私も好きに生きるから、みたいな、どこか傍観者ですね~。
36歳主婦
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