神様が与える試練はその人が乗り越えられる物を与えるというような事を言います。
多少の事は乗り切れても死を宣告される病を与えられたら残酷ですよね!
私は死にたいと思う時が何度もありましたが、今こうして生きています。
生きていればいい事があると思ったからではなく、単に残される家族の事が気になったからです。
私が気にしてもどうなる事でもないのですが、与えられた命が尽きるまで燃焼し続けるつもりです。
私はバイク乗りなので危険だと言われますが、何に乗っていても何をしていても危険度は大差ないと思います。
自分の力だけでは回避出来ない事は多々ありますから。
【生きる事】に対しての執着と諦めの分岐点、私は執着を選択しました。
これから先もへこまずあがき続けますよ!!
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ななしさん
>生きていればいい事があると思ったからではなく、単に残される家族の事が気になったからです。
私も自殺しようと思った時、父や母が泣くだろうと思ってやめました。
今は仕事がアルバイトだけど、生きているし、好きなことの勉強もできる。
考えてみれば、大人なのに、幸せだと思う。
好きなことができているのだから。
ななしさん
生きることはつらいこともたくさんあるけど、いいことも同じくらいあるからね。
生きていることに損はない。
ななしさん
生涯反抗期な私は、キリスト教の教えにはどうしても疑問があって。確かにそれが救いになる人には大切な教えです。
結局、分岐点で生を選ぶ人というのは、心に気に掛かる“人”がいるのですよね。
それが、親からも愛されていない。友達もいない。
そういう若い子が死を考えていると、
どうしたらその命をこの世に留めておけるのだろう…と、いつも考えあぐねてしまいます。
愛される事を知らない人が死を考えた時に、分岐点で生を選ぶ事の難しさを感じます。
36歳主婦..
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