ずっと抱えてきた自分の歪みを初めて人に打ち明けた。
話してる内にぽろぽろ涙が零れてきて、そしたら、相手もいつのまにか泣いてた。
言ってくれなきゃわからないよ。今までずっとそんなこと考えてたの?全然知らなかったって。
知らないのは当たり前。
だってその歪みは私の根本的な汚いところ。一番人に触れられたくないところだったから意図的に隠してきた。
もし、触れられていたら私は私を保てていなかった。壊れる寸前の状態だったから。
私は自分で乗り越えるしかなかった。
……だけどあの日、私の汚い話に泣いてくれて嬉しかった。
一緒に涙を流してくれて心が震えた。思い出して悲しくて苦しいのに、それだけじゃなかった。苦しくて、暖かかった。
世界が揺らぐような衝撃。
知らなかった。
誰かに話すだけで、心の声を聞いてもらうだけで、あんなに心が軽くなるってこと。
その人は私とは正反対の性質の人で。
なんでも押し殺してひた隠しにしてしまう私とは違って素直で、なんでも話してくれる人で。
だから同時に、悲しいって言われた。
今まで何も話してくれなかったことが。頼ってくれなかったことが。
少し考えた。ああそうか。私はあなたを裏切っていたのだろうかと。
ううん、でも、それは違くて。
私は具体的なことは何も口に出せなかったけど、その人の話を聞きながら宛メに投稿しながら、色んな人から色んな方向から乗り越えるヒントをたくさん受け取っていた。
話せるようになったってことは、ある意味乗り越えられたってことだと思う。
でも、私は一人で乗り越えたんじゃなくて、それはみんなからの愛情を、大丈夫だよっていう無意識の声を感じていたからなんだなと。
しあわせだったんだと気づいた。
私はしあわせ。
話すことで、ようやく私は、少し、手離すことができた。
嫌われたくなかった。私の嫌いな自分を誰にも見られたくなかった。だから強がってしまった。
向き合わないから消化できないまま想いだけは大きくなって、年月を重ねて腐敗させていってしまった。
感動なんてなくしたと思っていた。
テーマパークに行っても好きだと言われても、誰かと触れ合っても。だけどあの日、なんの変哲もない私の部屋で、私は確かに心が動いたのを感じたんです。
止まっていたと思っていた時間は実は滞ることなく流れていて、私は気づかぬうちに成長させてもらっていて、世界に救いはあるんだなと。
私は一人きりだと思っていたあの頃の自分に言ってあげたい。たった一言、だいじょうぶだと。
繋がりが薄れても、たまに私を思い出して声をかけてくれる人がいる。それだけでも、すごくすごく嬉しいこと。
陳腐な表現になってしまうけど、支えられてる。愛されてる。私はきちんと、自分と向き合える。
一瞬のきらめき。世界が色鮮やかになるあの瞬間、忘れたくなかったので流させていただきました。
救いはあるってずっと信じていたい。だから頑張る。努力する。明日も前を向いて歩いていく。止まっているようで実は歩いている。
感じてるままに上手く書くことはできなかったけど、いま一番感じてるのは生きててよかったな、ってことです。
読んでくださった方、ありがとうございました。
形にしたら、またちょっとスッキリしました。