勉強ができる
と
頭がいい
この2つは似てるようで違うんだなあと思った
勉強は出来るけど知恵のはたらかない人や性格の悪い人も世の中にはいるし
逆に勉強は出来なくても他のことに熱心だったり努力家な人もいる
私が最近会った人は残念ながら「勉強は出来るけど頭は悪い人」だった
そんなに自分が勉強出来ることに自信があるなら、今度は人の気持ちを読み取ることも勉強したらいいのにね
勉強ができる
それはどこに行っても求められるしなによりも自分の武器になる
でも
勉強ができる だけ
それだけではこの先が危ない道になるってこと
なんでわからないのかなあ?本当に頭がいいなら言われなくてもそのくらいわかるはずなのにな
勉強ができる「だけ」ではダメなんだよ、もっと大事なことがあるんだよ
…って、みんな優しく教えてあげてるのにね
なんでそれを受け取ろうとしないんだろう
あげくのはてには自分にとって都合のいい解釈をしている始末
厳しいようだけど、そんな人は所詮は「その程度」
なぜかって?
それは勉強ができる「だけ」の人には理解できないこと
「理解したくないわ」と思ったらその人は残念ながら「勉強ができるだけ」の人
「頭がいい人」はすでにわかっていると思います
ちなみにこの小瓶は宛メの誰かに宛てているわけではありません
自分を戒めるつもりで書いたものです
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ななしさん
なんか分かる…
知恵と知識は別物だからね。
どんな知識もそれを活かす知恵がなければ意味がない。
ななしさん
わはは・・
主さんが、あえて補足している
>この小瓶は宛メの誰かに宛てているわけではありません
↑前も、これみたわ。
が、タイムリーすぎて、逆に聞こえてしまうので(ごめんな)、
つい、笑ってしまいました。
(日常生活にもいっぱいいるのにね)
私は、勉強あたまの人も、ずっと学生でいられるわけではないので、
主婦になった時、社会人になった時、親になった時、
そこは、それぞれなのでよくわかんないけど、
とにかく「自分のやり方が外の世界では通じない瞬間」に
ぶつかったとき、その人が何を思うか?だろうと思います。
それまでは、勝手にやってりゃいいと思います。
「所詮他人の人生」だし、個人的にはクロスするものも
ないと思うし。
そいつも、自分がほんとに困ったと思えば、
そのとき誰かに相談すると思うし。
価値観の相違があるという事実自体は
まあ、当たり前っちゃー当たり前だと思います。
たぶん、うすら悲しく思うのは、相手の人に
「自分は自分を変える気はないけど(ここはしょうがないんだよ)
外には違う価値観ってあるんだね」というのりしろが皆無なのが
(会話一方通行)ちょっと悲しいのかもしれないですね。
でもね、そこで、ちょっと立ち止まって考えてみると、
それ以上粘ってまで、聞く耳持ってほしい相手かな?と
考えたとき、私の場合だと
「いや、そうでもないわ。人間的にはさほど興味がないな」が
98%です。(これは個人差)
で、「さよなら~!」と、去ります。
(そして、今後もこういう話題を振ってくる限りはスルーです)
↑この手の人は、相手をねじ伏せたいので、相当しつこく
同じような話題を持ち出してきてあおるのが、特徴です。
前は、私も、ゴリゴリまとわりついていてました。
でも、結局、それって、相手に自分の正義をおしつけて
「おまえも変われよ!」とゴリ押しているだけのことなので
(相手個人には、大して興味もないくせに)
結果、相手がどういう選択をしようと、なにかむなしさが
残るんです。
だから、あたしは、スルーの人です。
まいたん
ななしさん
主さんの話って興味深いね。
聖徳太子は「頭の良い人」プラス「多才」に分類だね。
一を聞いて十を知る頭脳かあ・・・。
十人の話を一度に聞いて理解するとか難易度高すぎ。
憧れるよ。
ななしさん
わたしもそれは思ったときあります
わたしの場合
『勉強ができる人』と
『頭が弱い人』
という区別です
わたし自身、典型的な
『頭の弱い人』です
望月
ななしさん
ものすごくわかる。
頭いい=成績がいい じゃないよね。
最近頭いい=成績がいいことって勘違いしてる人多い。
ななしさん
僕が思う「頭がいい人」は頭に柔軟性がある人。
言葉には浅深軽重があり浅い言葉から非常に深い言葉まで、また軽い言葉から非常に重い言葉まであります。
その奥深さには全く底が見えないほどの一を聞いて十を知るくらいでは量れない底無しの言葉もあるのです。
理解できる人とできない人の違いはどこから見ているかで決まってしまいます。
言葉を表面だけで捉えてる人と深い所で捉えてる人では理解しあえるはずがないのです。
僕ははっきり言って性格悪いです。
初対面の人を軽く怒らせるくらいの言葉を吐いて器を見ます。
ななしさん
『勉強ができる方』と『頭の良い方』の違い、私には年々 判らなくなっている事のひとつです。
様々な学問に於いて、知識量が豊富な方を勉強ができる方。
人として生きる知恵が、泉のように湧き続ける方を頭の良い方。
以前は そのように脳内で区別しておりましたが、私の物差しは、厚みが均等に作られてはおらず、メモリも大雑把な為、いつも計測を見誤ります。
見誤り続け、答えの出ない今日を過ごしているのですが、『知識』と『知恵』の配分が絶妙な方々の存在を知る度、どの分野の方々にも共通して見えた事は、仕事に誇りを以て『完璧』に少しでも近付こうとなさる『意識』。
その姿を前にして、小さな自分を感じます。
そういった方々を観ていると、私には『勉強ができる』と『頭の良い』は、何故か同義に思えてくるのです。
初めて、そのように感じたのは、『目配り気配り』が大事と、遂行する厳しい方々の姿を目にした時でした。
私の中では、おそらく、これからも二つの言葉は同義として目に映り、存在していきそうです。
おばあ
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