人に好意を向けられると嬉しく思うけれど、それを上回る勢いで気持ち悪いと感じてしまう。
自分が相手を好きだと思っていても好意を向けられた途端に気持ち悪いと思ってしまう。
そして、距離を取ったり拒絶してしまう。
当たり前だけどそんなことしたら皆去っていく。で、独りぼっちになる。分かってるのにやってしまう。
自分で自分が意味不明。もう駄目だ。終わってる。
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ななしさん
小瓶の心と形は違うかもしれませんが、日常生活の中、寄せられた『好意』に不快感をおぼえる時もあるので、私の場合はという形でお返事を記します。
『好意』の瞳が、いつしか一方的な『依存と期待、失望』に切り替わる事を疎ましく感じる、又は、その『好意』が、いつも見張られ粘着されているような息苦しい『執着』となって向けられる日が再びやってくるのではと、そういった身勝手な思いを向けられる経験から、警告音が全身に響き、毛が逆立ちます。
『貴方の事情は~/持ち込まないでください』という歌詞の曲を、子供らがよく聴きますが、その歌詞が心に浮かぶ方と対峙し好意を示されると、また面倒事になるかもしれないと身構\\えて、予\\防策を講じております。
そのような時、リスク回避する為とはいえ、厄と認識してしまうのは、お相手に対して失礼なのではないかと思っております。
その感情と同時に、限られた一生、貴重な時間を使うべき案件なのかと自身に問いかけてもおります。
2つの感情が交錯する時、私は、一時的に飽和状態となり、これは人としてどうなのだろうという自己嫌悪に陥る事 多々あります。
おばあ
ななしさん
わかります。私もそうです。
これって多分自分が自分の事嫌いだから、
嫌いな自分のことを好きになる人なんて気持ち悪い!ってなってしまうんではないかなと自分では思ってます。
なるべく自分を認めて、克服したいと思ってます。
ななしさん
わかります。
私の場合お付き合いをしている相手にすらそう思ってしまいます
自分が好きだと思っている間はなんともないのですが、相手からの愛情を感じると、言い方が悪いかもしれませんが…引いてしまう時があります。
でもそれは、\"自分に自信がない自分\"を好きと言ってくる相手への、不信感のようなものではないかと思うようになりました。
私は自分を好きになれません。だからこそ、愛される事への違和感があります。
それゆえの不信感なのかなあと…
そこで頭の中をカラにして考えてみると…誰かが自分自身を好きだと言ってくれる事は、心地良いものではないでしょうか。
相手うんぬんより、自分の受け入れ方で考えは変わってくると思います。 好きだと言ってくれる事は相手の素直な気持ちです。
偉そうにすみません…
好きだと言ってくれる人を大切にしていけたら素敵だと思ったので、書き込みさせていただきました。
ななしさん
それは相手に心を開ききれてないからだと思います。
ななしさん
追記。
『日常生活の中』に於いて、個人が処理すべき領分の問題を携え、本来 踏み入れてはならない一線を『好意』の仮面を被り、易々と超えてくる方について、無意識に警戒し、毛が逆立つ事が多いです。
節度をわきまえる。尊重しあう心の基盤がある。
理性ありきの『純粋な好意』は、心が温かくなりますし、有り難い事と感謝しております。
おばあ
ななしさん
私以外にもそう思う人がいたなんて驚きました。
全く同じではないかもしれませんが、
私は自分が嫌いだから自分を好きになる人がいると思えなくて、
自分に好意があると認識したとたん、理解出来なくなります。
だからどんどん避けていって結局一人になります。
私はもう諦めてしまったけど…。
ななしさん
恋愛路線の好意、人間愛の好意、自己愛経由の好意か。
好意ってこんなにあんだね。
ななしさん
毎度同じアドレスコピペでござんすが、
たぶんこれも、これ↓かな?と思います。
http://jungknight.blog90.fc2.com/blog-entry-2034.html
まいたんたん
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