誰にでも好きじゃない人、苦手な人はいると思う。
私にもいる。
最近、私はある人にそっけない態度をとってしまった。目も合わせないし相槌も適当。
その時は自分の態度を何とも思わなかった。
昨日、苦手な人からそっけない態度をとられた。こっちは仲良くしたいのに相手は私と目も合わせない。
結構傷ついた。
と同時に後悔した。
そういえば私もそっけない態度とったなって。
申し訳なくなった。
他人は自分の鏡だって言うけど本当にその通りだと思う。
他人にされてその行為の残酷さに気づく。
そっけない態度だけじゃない。
いじめ、陰口、無視など、相手が不快に思う行動はたくさんある。
私はもう他人からされて嫌なことは絶対にしないと決めた。いくら好きじゃない人だとしてももう表には出さない。好きになる努力をする。
心が綺麗な大人になりたい。
これ以上傷つきたくないから、そういう手段をとることで、自分の身を守りたいという意識もあるのかもなーと感じます。
私は、他人からされて嫌なことを絶対にしたくない、という
主さんの気持ちは尊いなぁと思いますが、
そのことと、ひどいことをされても、それを「ひどい」と言わない
選択をして、なおかつ、その相手を好きになる努力をする、という
のは、別件で、二つを混同している状態なのではないか?と
思います。
(そういう解釈をしたほうが、心は一見整理されていい、という気分になりがちですが)
苦手な人も、そうでない人も、他人に変わりはないです。
大事なのは、無視とか、素っ気ないではなく、
なるべく(ガチでは疲れる)「きちんと気持ちを言葉で伝える努力」
で,関係性を築いていくことじゃないかなーと思います。
完全に心が綺麗な人間なんて、それこそ、夢を崩すようですが
いません。(それは、逆に人間じゃないよ)
でも、自分が痛い目にあうことで(それ自体は不愉快ですが)
主さんみたいに、考える余地が出来るというのも事実なので
それ自体は素敵なことだと思います。
(伝わっているかな??)
まいたん