自分を表す勇気がないです。
いつでも笑ってごまかしてしまって
ほんとうの自分の意思がわからなくなってしまう、演じてしまうことが多いです。何をするのにも諦めを感じてしまいます。人生やり過ごしてる感じ。何に対してもやる気が出ない。だれか助けに来てくれないかなって考えてしまう。もう大人になるのに、誰も助けてくれるわけないのに。これは性格なのかな。どうしようもないのかな。何しても虚しいよ。
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ななしさん
自分自身に、打ち明けるだけじゃダメですか?
受け止めることができたら、少しは元気が出るよ。
ただね、おしころしているものが大きくて辛いんじゃないかって思ったよ。
僕は自分自身を信じられなくて圧し殺して辛かったもので(苦笑)
自分を信じるのに役立つ方法はいくつもあってタイミングと内容が自分にマッチしたら、自信に近い力がわいてきて、受け止めやすくなるよ。
そこで僕が伝えられることは、自分の感情や思いを認めたって、受け止めたって、あなたの自由だよ!
誰に断る必要もないし、悪く思う根拠すらありはしないんだ。
お節介だけどさ、お互いに自分ってやつになろうじゃないか。
ななしさん
わかる。
わたしもおんなじなので。
でも、それは、言葉を持たない赤ちゃんが
おかあさん(対、他人)に向ける
思考回路となんら変わりがないと思っています。
主さんの場合のルーツは、小瓶からはわからないので
我が事を書くと、
誰か助けてくれればいいのに~は、単に、小さい頃から、
やぶれかぶれでもいいから、とりあえずやってみるわ~の
積み重ねを放棄してきたからです。
人間なので、子どもなら特に、好奇心というものはあるのですが、
(私も普通に旺盛でした)
環境がちょっと悪かったというのもあり、
「やってみたいな~」と思うと、ことごとく
「どうせ、失敗するに決まっている」
「ここまでのレベルに到達しないなら、初めからやる意味がない」
というような、「結果重視」「型にこだわる」(母親の影響大)
価値観で押さえつけられてきて、
(かなり、抵抗はしましたが、やはり「お母さん」に捨てられたくないという、子ども特有の生存&愛情欲求には負けてしまい)
いつのまにかやる前から「どうせ・・」が浮かぶようになり、
ちょっと手を付けて出来なそうなら「やって~」・・の人に
なってしまいました。
そのうち、やれば出来そうなことでも、周りに人がいる限り
「やって~」を言う人になりました。
別件で、いろいろあって、自分自身のことを見つめていくうち
成り行きで、この事とも直面する羽目になりました。
少しでも、心地よく、手応えのある生き方がしたいという思いからです。
突き詰めていくと、私の場合、出来る出来ないの前に、
誰かにおんぶにだっこしてもらって、凌げた一時しのぎの安堵感より
試行錯誤の上で、多少ダサい結果になっても、自分でやりきった、
または、途中でやめる事になったとしても、自己判断で責任をもつ
覚悟でやっていることなら、後々そんなに、後悔は少ない
(完全にない、とは言わない。それは綺麗事)
事の方が多いな~ということに気がついてきました。
私の場合は、30代も後半になってから、なんの土壌もない所からの
開墾(かいこん)なので、正直、しんどい~・・と思う事も
まだまだあります。
でも、自己責任の気持ちよさを一度感じてしまうと
「やって~」・・が、顔をのぞかせてきても(昨日もありました)
ちょっと、待ってみよう、という気になるので、ここばかりは
不思議です。
(つぎはぎだらけの自分だけど、これが自分なので、これを転がして
やっていくしかない。自分以外の人にはなれないので)
過程中の人間なので、行を費やしたわりに、進みっぷりはあまり
芳しくないので、説得力は薄いかと思いますが、
そんな人間も、まぁ、おります、ということで。
私は、一気になんとかしなくちゃ、・・が
多分、一番反対の方向にベクトルが向いている事だと思います。
ほんの少しずつ、今までのやり方を少し緩めていくくらいの
スタンスで、変わりたいと思うなら、取り組んでいかれたら、
咲く花もあると思いまっす!
(その過程は、他の事にも役立つので
まわり回って自分が自分を助ける事が出来る、
ということにもなります)
まいたん
ななしさん
笑ってごまかす、意志をはっきり表\\さない。その行為で何を守ろうとしていますか?何を怖がっていますか?
その正体を見極めて手放す。
多分その過程は痛い。
でも生きてる実感はあるよ。その課程には虚しさはありえない。
冬
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