やっぱりうちの家族にまともな奴なんていなかったって再認識した。
というのも友達のうちの1人にたまたま私の家族について深く話す機会があって、そのときにドン引きされたうえに労われて、それでなんていうか、そう思ったから。
私からすればその子もなかなかの家庭環境だと思ってるけど、彼女からしてもそんなレベルなんだという事実がなんか意外だった。
一年前の私だったらすごく喜んだんだろうな。怒りを一度忘れることに努めたからもうよく分からないけど。
そして喜び救われただろうと思うと同時に、こういうのって、自分で体験を消化した後じゃないと話がしみったれすぎて相手から共感を得られないことがままあるから、難しいなと思った。
彼女は、母と姉について共依存じゃんって言ってくれたし、父は逃げたのだし、酒カスで話がまともにできないし、病気だろうがなんだろうが姉は引きこもりのニートだし人として許されないことたくさんしてるし、その姉と同等くらいに母親も害悪だと言ってくれたし、お金だけあってもそれで問題を先送りにしてるんじゃしょうがないと、私がここで言葉にしていたことまで言ってくれた。
はじめて、それが正しいかどうかはともかく、論理的な思考をする人間がこちらの側ににズカズカ入ってきてくれたと思った。
この閉鎖して話の通じない頭も精神も弱いゴミばかりの衝動だけがものを言う世界に、ひとりの人間が現れたのだ。
だからといって彼女に何か救ってもらおうとかは微塵も思わないし彼女には救われたくすらないけど(それってなんか気持ち悪い)
彼女にもまたかかっている呪いがあれば私もその鍵だけは外してあげたいし、今私たちが頑張りながら生きてることを素直に喜びあいたいとは思うのだ。
もっと怒っていいし家族を救いたいなんて思わなくていいし絶縁したっていい
怒ってはいけないという規範を内面化し、彼らを救いたいと思い、距離を取ることは考えても絶縁なんて考えたこともなかった私が、そんなことを誰かに言われるなんて思わなかった。
あるあるだと思っていたものをあるあるな家庭環境じゃない人に「そんな家ほんとうにあるんだって思った」とまで言われるなんて思わなかった。
優しすぎるなんてはじめて言われた。
狂ってるよね。私の家。
彼らの悪とは別に存在する優しさが私を彼らと再び同化するところへ引き戻そうとするけれど、そんなの一生苦しいままだ。
一度は怒りを乗り越えて感謝だってした。けど、そんなのただの一度で十分だ。
どうして私の要求や感情、声ばかり無視されなければならないの?
どうして姉の人格が稚拙なだけであることを、エキセントリックだとか感性が違うとか感受性が豊かとか、そんな言葉で取り繕うの?
私の感情が嘘にされ嘘の感情が私の感情になることで誰かの精神状態を保つなんて、家庭の均衡を保つなんて、さらにそれを家族の全員が納得してるなんて
そんなの、狂ってるだろ。
私を自分を愛でるための都合のいい鏡にし
私を家族の平穏・前向きさ・明るさの象徴・マスコットみたいに扱って、自分の非から逃げ
人と向き合おうとしないでストゼロロング1日に5本以上飲むだけ飲んで被害者ヅラして
優しいのは分かってくれるのはいい子なのはお前だけだと、呪いを吐いてきた
そんなのが家族なんて信じられるか?
信じられないよな。
私の家族は家族じゃなかった。
家族ごっこをするなにかだった。
あんなのは親じゃなかった。
誰も親じゃなかった。
姉じゃなかった。
私に家族なんかいなかった。
誰もいなかった。
家族の中で私だけが人間だった。
私はひとりの人間だった。
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