最近、いつにも増して、幸せそうな人を見るとイライラするようになりました。
これまではずっと、この感情は妬みだと思って、自分でもあまりまともに取り合っていなかったのですが、どうやらもっと複雑なものが関係しているのではないかと思ったので新解釈を書き綴らせていただきます。
まずは、「幸せそうな人」の中にもイラつく人とイラつかない人がいるということです。
例えば、街行くカップルにはイラつくけれど、ご飯を美味しそうに食べている人にはイラつくことはありません。
他のケースでいえば、祭りを楽しんでいる人にはイラつくけれど、コミケの参加者にはあまりイラつきません。
この違いは何だろうと思った時に、おそらく、自分の中で抑圧している感情を逆撫でしてくるものに対して、自分はイラつくのだなと感じました。
例えば、ご飯の話でいうと、もし、自分が満足に食事ができない環境下にいたら、美味しそうにご飯を食べている人間にヘイトが向くと思います。
他でいえば、もし自分の足が不自由であったとしたら、歩行を軽んじている人間を嫌悪すると思います。
つまり、「恋人と出歩くのおもんない」「祭りとか、出店のオヤジがインチキくじ売りにくるだけのぼったくりやん」と、普段言いはしないけど心の中で押さえ込んでいる自分の神経に触れてくるからイラつくのだなと気づきました。
自分が寛容でないことがこの考えからもお伝わりのことかと存じますが、単に友達がいないから、陽キャの輪に入れないからといった世間の浅い分析を掘り下げていった結果、これらが関係していることに気づきました。
つまり、自分の主義と異なるからイラつくのだなと。
絵に描いたようなベビーカー押してる夫婦とか、まるで誰かが描画したテンプレ像に自分を当てはめにいこうとしていて「おもんな!」ってかんじてしまうんです。
学校の文化祭とかも同様に。
実行委員が理想とする学園ドラマの文化祭を再現をせんとする強制が鼻についてしまうのです。
こう考えていると賑わっているあらゆるものが当然ありきたりで楽しくないわけですが、テンプレに抗ってイレギュラーで生きているのだから、こういったフラストレーションを覚えることは覚悟しておけよと自分で思う次第です。(自己完結)
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
すごくやさしい言葉をかけてあげてほしいです