誰かが頑張っている姿を見ると、自分という存在をひどく恥ずかしく思うのです。
”頑張っている”のラインなんて人によって違うことなどわかってはいます。理屈ではわかっているのですが、どうも自分事となるとそうもいかないようで、他人の努力を目撃すると、私はわけもわからず顔が赤くなってしまうのです。
苦悩や我慢が美徳だなんて、そんなことはありません。それは愚か者がすることです。真に出来る人間は苦悩から解決策を導き、よりよく変えていける人です。ただひたすらに我慢するのではなく、人と相談し互いを高め合える者こそが、出来た人間であると私は思っています。私は。
それなのに私は自分から進んで愚か者になろうとしています。
死にたいと思うことが正しいと。悩み苦しみ、つらい目に遭いしんどい気持ちを抱えることが正しいと。他者と自分を比べ自分を軽蔑することが正しいと。
私は私がわからないのです。客観的に見ても意味がわからない人間であると認識しています。しかし、当の本人でさえわからないのです。
私はなんで自分で自分を苦しめるのでしょうか。なぜ自分で枷をつけるのでしょうか。
私が苦しむことで誰か喜ぶ人間はいますか? いないのです。
この行為は何の生産性もなく、意味のない行為です。
なのにも関わらず私は今日も胸に小さい穴をあけるのです。
そこから少しづつ、少しづつこぼれていきます。あふれだすは喜怒哀楽の喜と楽です。そこに愛も加えましょうか。
私は自分で自分を傷つける。愛がわからないのではなく、わかっていて愛は私に相応しくない。
人間は元として、矛盾を抱え生きる愛おしい存在なのかもしれませんが、私のこれは恥ずかしすぎて目も当てられない。愚かというには馬鹿すぎて、私は、もう生きていたくないのです。
もう、何を書いているのかもわからない。私という存在は人間ではないのかもしれません。
中二病らしいポエムに聞こえますよね。笑えてきてしまう。
結局何が言いたいのかって?
私は認めたくないのです。自分が人間だって。周りの人々と同じ存在だって。
なぜなら、私も同じ人間だとしたら私はあまりにも出来損ないすぎて、それすら恥ずかしいから。
恥ずかしいのです。羞恥で体から煙が出そうだ。
もう消えていなくなりたい。このまま夜風に攫われて溶けて誰かの横を通り過ぎたい。
正直な気持ちを吐き出せば、私はきっと辛くないのだと思います。もっともっと辛い人がたくさんいると知っているから。
でもその事実を頭の中で巡らせるたびに私は本当に、心に重しをつけたみたいに体が動かなくなって、自分という存在の恥ずかしさに気づいて、もう消えたいと思ってしまう。
嘘にまみれた死にたいが口から流れる。寒い日に少し大げさに息を吐くように、はぁ、と無意識に死にたいと思う。
死にたいなんて思っていないくせに。
私はどうしたら、こんな恥ずかしい人間をなかったことにできるのでしょうか。
もう隔離したい。奥の奥にmzkを押しこんで、二度と日の目を浴びないようにしたい。
誰も私を見ないでください。
こんな人間、見ないでください。
人の努力を素直に称賛できない、私はそれを卑下の材料にする。
人の喜びを素直に祝えない、私はそれを聞いて勝手に苦しみだす。
捻じれ曲がった性格は、いつしか人の原型を留めることができなくなる。
私は生きてはいけない存在なのです。化け物なのです。
だから毎晩祈るのです。
誰かが私を退治してくれることを。
そうして永遠と夢に泳ぐことを。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
すごくやさしい言葉をかけてあげてほしいです
永遠の王子様 レイ
235047通目の小瓶
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