親友が自殺した
一緒に遊んだ次の日のことだった
その日私達はカラオケで
お互いの好きな曲を交換したりして
心から楽しいと言える一日だった
それはあの子もそうだったはずなのに
夏休み中だったので
明日も一緒に遊ぼうと言って
十二時に近所のイオンで会おうと決めた
次の日の八時頃には
あの子の親から知らされたけど
私はちゃんと約束を守った
やっぱりあの子は来なかった
私の最期にあの子がいないことが
どうしても受け入れられないけど
あの子の最期に私がいたことが
あの子にとって幸せなことだったといいな
……いや
やっぱ寂しいな
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください
nanaha.
アユムさんへ
お返事ありがとうございます。
確かにそうですね。
親友にとっては、心から楽しかったと言える一日だったとは言い難いと思います。
ただ、個人的にはこの表現にした理由があるんです。
主人公も、親友が次の日に死んだということは、心から楽しめていない可能性が高かったことはわかっていて。
でも、あんなに楽しかったんだから、親友もそう思っていて、死ぬ理由なんてなかったはずだ。
ではなんで死んでしまったのか。
と、親友が死んだことを受け入れられず、自問自答を繰り返していたのではないかなと思っています。
なのでこの表現は、「実際親友がどう思っていたか」ではなく「主人公が持つ願望」である、という風に考えながら書きました。
でも、第三者がこの文章を読んだとき、この部分に違和感を覚えるということは新たな発見でした。
今後はそこも意識しながら書いてみようと思います。
アドバイスありがとうございました。
アユム
う〜ん……
「それはあの子もそうだったはずなのに」の
部分は変えるべきかな〜
親友の心情としては
次の日に死ぬことを
決めていた可能性があるし。
そうなると、親友としては
楽しさと寂しさが入り混じった
なんともいえない感情だったのかな……と。
主人公が、その親友のその心情に
思いめぐらせる内容にすると
より深いものになると思うよ。
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