多くの人は自傷、あるいは自死の心理が理解できない。それはしょうがない。
自傷をさせるのは、やるせなさでも孤独でも空虚でも怒りでもない。
逃げたい。
ただそれだけだ。
だが、何処へ?
どうやって?
答えのない葛藤はやがて身動きのとれない状況に自分を追い詰めた社会ではなく自分へと向けられる。
理由は単純だ。社会は個ではない。人格も感情も存在しない。道端に転がっているペットボトルやタバコの吸い殻と同じだ。
私たちが生きるために不可欠であまりながら、無感情の無機質な存在、それを人は社会と呼ぶ。
社会には言葉が通じない。
だから個は社会を攻撃も糾弾も会話できない。
結局、振り積もった感情は自分へと向けられる。
何故、私は私を傷つけなければならない?
はじめはそんな怒りを傷ついた腕や拳を見て感じる。だが、それはすぐ諦観へ変わる。
何故? 何故? 何故?
自問を繰り返し、しかし辞めることができない。自らを傷つけること、それが現実からの逃避になり、いつしか、身体を傷つけければならないのだ、と使命に似た気持ちで身体に刃物をあてるようになる。
そして、傷が治ることが許されない気持ちになる。
忘れないで欲しい。私たちは決して快楽のために自傷をはじめたわけではない。
どんなに言葉を並べても、伝わらないかもしれない。
それでも伝えたい。
自傷とは、逃れられない苦しみを忘れるのではなく、苦しみから逃げられない自らへと向けられる怒りや哀しみ、虚しさの発露であることを。
世の中の誰かではなく自分が存在することが許されない気持ちによるものだということを。
愚かだ、ということは簡単だ。弱すぎる、そう嘲笑うことも。
だが、そういう言葉を発する人へ問いたい。
愚かであること弱いことは悪いことか?
自傷の無意味さは、自分たちが一番理解している。それでも、他人を傷つけるなら、迷惑をかけるなら⋯⋯。
苦悩の果てに自傷を選ぶ人は、愚かだろうか? 弱いだろうか? 人間として大切な何かが欠如しているのだろうか?
他人を傷つけても自分が助かるなら、それでいい、という考えもある。否定するつもりはない。
ただ、ひとりだけ、断っておきたい。
自傷する人たちが他人に救いを求めることが、出来ない思っているなら、それは違う。
他人を巻き込んではいけない。自分ごときの苦悩で他人に迷惑をかけてはいけない。自分で解決しなければ。
それら想いが自傷をさせるのだ。
それでも、なお愚かというなら、あるいは、自分を傷つけたり、この世から消えることは、生きている以上、許されないことだというなら、教えて欲しい。
他人を巻き込まず、自傷もしない、そんな生き方をが、この世界では、出来ることを。
もし、答えらないならば、言うべき言葉はひとつだけだ。
黙ってろ。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください