疲れた
誰も本当の僕を知らない僕は男になりたいだけだったのに誰も認めようとはしない誰にも話せない信用出来ないどうしても
疎外感と空白感
もう僕は必要無いんじゃないか
存在価値教えて欲しい
\"生きちゃいけない人間なんて居ない\"
綺麗事に過ぎないだろ
死にたいんだ死にたいのに死ねない怖い
殺して呉れないかな
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ななしさん
死にたい.殺して欲しい.必要ない人間と思うのは私もです。
でも、まだやり残したことはありませんか?
運良く殺されたとしても、それが死ぬ気分じゃない時だったらどーしますか?
怖くて死ねないのは私もです。
もーすこし頑張りませんか??
ななしさん
綺麗事だって思えばそれは綺麗事になるけどそれはあなたがマイナスに考えてるから。
生きたきゃまわりのことばに一喜一憂したり流されないで思った道を生き抜けばいいじゃん
ななしさん
貴方の苦しみは推し量れませんが。
存在価値、生きる価値についてお悩みのようなので、それらに対する私の個人的な考えを長文になりますが、書かせていただきます。
人は社会的な生き物である以上、その社会の枠組みの中で必要とされようとするのは当然の感情(本能といっても良いかも知れませんが)です。
しかし、それをとりあえず置いといて、一個人に対する他者から見た存在価値についてです。
これは大別して3種類に分かれると思われます。
即ちプラスの価値、マイナスの価値、無価値。
プラスの価値について
これはその一個人が他者に与える精神的、肉体的、金銭的影響として、文字通りプラスと影響を受けた他者が判断する価値を創造した場合にその他者から付加される価値です。
マイナスの価値について
上記と同様に今度はマイナスと影響を受けた他者が付加する価値です。
無価値
これは、単純に居てもいなくても変わらない、そもそも関わっていないに等しい状況において在る状況です。これに関しては文字通り良いも悪いもありません。
至極単純な例えですが、この宛メを読むまで私は貴方とは何も関わってはいなかったし貴方という個人がいることすら知りませんでした。
それまでの私からすると貴方は「無価値」ということになります。
そして同様に、貴方にとっての私も「無価値」であったはずです。
上記3種の考えを前提として、他者が他者に与えるないし考える、「生きていて良い」か、「生きていては悪い」の価値判断についてです。
これもまた3種に大別できるでしょう。
即ち
生きていて良い、生きていて欲しいと思われる。価値
これは上記のプラスの価値を付与した側の他者が大なり小なり思う価値判断でしょう。
生きていて欲しくない、死んで欲しい、関わりたくない。価値
これもまた、上記のマイナスの価値を付与した側の他者が大なり小なり思う価値判断でしょう。
生きていても死んでいても構わないそもそも知らない、無関心。価値
上記と同様に無価値と判断した場合はここに該当するでしょう。
というより、世界の人口を考えるに、一個人が他者に与える実質的な価値意見の絶対的な量としてはこれがほぼ全てといって良いでしょう。
次に、実際に生きていて良いか悪いか
身も蓋も無いことを言うのならば、マイナスの価値を一定以上付与された、付与される行動を行った人間が「生きていてはいけない人」とされるでしょう。
そして、本当にそういったランク付けがなされ、周りの人間全ても、妥当、ないし、賛同した場合、その人は「殺される」でしょう。
実際の日本社会の制度を例えにした場合、ある個人が犯罪を犯したとします。そして、刑罰として懲役10年が言い渡されたとしましょう。
この場合、その個人は社会に最低10年は関われない、社会的には10年間は居ないもの、死んだものとすることが出来るでしょう。
死刑の場合はもっと簡単ですね。
ここで言いたいのはマイナスの価値を創造し、周りに振りまいた場合、それを判断する他者のほぼ全てがないし全てが「生きる価値なし」と判断した場合、文字通り「生きていない状態」ないし「死ぬ状態」になるということです。
そこで、「生きてちゃいけない人は居ない」の話になりますが、ただ事実なだけなんですよね。「本当に生きてはいけない人」と周りに判断されたら上記の通り「社会的、生物的に死んで」「居なく」なりますから。
自己が自身に与えて認める価値については完全に本人の自由です。
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