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私がわがままですか。ずっとずっと兄との関係性が悪い。兄が咎められることは1度も無かった

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ずっとずっと兄との関係性が悪い。
私を完全に無礼ている。

小さい頃からちょっかいをかけてくることが常態化されていて、私が傷ついて怒っている様子を兄は楽しんでいた。
母は私が怒る声のうるささに私を怒る。
理由や過程は関係なく、私がうるさいことを怒る。
兄が咎められることは1度も無かった。
兄が言われるとするなら、私を怒り倒した最後に「この子がうるさいからあなたも余計なことをしないで。」それだけ。
特に咎められることのない兄にとっては、私との関わり方はこれでいいという小さな成功体験をこのときから積んでいる。

小さい時はこの程度で済んでいたことも、
年齢を重ねるごとに悪化していった。


私の家は核家族が進んだ今では珍しい、
父方の曽祖母・祖父母と同居する家庭だった。

その中で大きな変化は、
私が小学4年生のときに父が病死した。
曽祖母や祖父母よりも先に、呆気なく、いってしまった。
そしてややこしくさせるのが、家だ。
曽祖母の持っている土地に、私の父が建てた家で同居していた。
土地は曽祖母のものなのに、家は父のものなのだ。
父には姉が2人と兄がいる。
この姉2人が図々しい。
私たち家族にとっては、私たち家族と同居する曽祖母・祖父母の感覚だったが、父の姉2人にとっては自分の実家に居座る弟家族という感覚だった。
この小姑たちが厄介で、2人とも嫁いでいるが近所に住んでいるため毎日のように家に来る。当たり前のようにうちの家の鍵も持っており、勝手に家に入ってくる。感覚は実家だから。


父の姉(2番目)には子どもが3人おり私の従兄弟になるが、母親がそれなら子も子で勝手に家に入ってくる。毎日来る。なんならただいま〜と入ってくる。お前の家では無いのに。


父が亡くなったことで、"実家に居座る人たち"の感覚がより強くなったように感じる扱いを受けることも徐々に増えていった中で、特段嫌だったのが金銭に関わることだった。
従兄弟の3番目(男)は定職にも就かず毎日祖母にお金をせびりに来ていた。
祖母にとって、自分が生んだ子(娘)が生んだ子の方が可愛い。
毎日当たり前のようにお金を渡し、甘やかし、周りに従兄弟が責められようものなら全力で庇った。
手癖の悪いこの従兄弟は、祖母から貰うお金じゃ満足せず、目を盗んで私や母・姉の引出しや財布から勝手にお金を抜くようになった。
証拠はない。
お金が無くなっている事実と、無くなるのがこいつが来たときだけということだけ。


咎められない。
証拠がないから。


我慢するしかなかった。
毎日毎日、プライベートのない、安全性すら保たれない家で耐えるしかない地獄だった。
母も義姉に言うこともできず黙っていた。
この状況で母がこの家を出ると、父の家なのに義姉たちに取られてしまう。
住み着くことが分かるからこそ父のものを絶対譲りたくないという母の気持ちを、娘の私が頼むから家を出てくれなんて言えなかった。
これが私が中学生の頃。
兄は高校生で、毎日部活と遊びで家にいない。
財布は常に自分で持って出かけているため
兄のお金が手をつけられることも無く
そもそも家にいないので状況を把握することもなかった。


そして私が高校生。
この頃には曽祖母と祖父は亡くなっており
祖母だけになったが、祖母がいるから状況は変わらずで。
ただ、祖母が指定難病になり薬の副作用きっかけに骨折が増え、介助や介護をしなければいけなくなった。
介護と家事・学業の日々で遊びに行けることなんて全く無かった。
母は仕事と介護で疲れ切っている。
夜中にトイレの介助に起こされることも多く、寝れない日々にストレスも溜まり私に当たる。
姉は働いていて当時は残業月100時間程度こなす激務で疲弊している中で、私が手伝わないなんてことは言語道断だと思っていた。
私だってやりたいことはあるのに。
ストレスだって溜まるのに。

兄はその頃大学生だ。
この頃から毎日のように大人数の友達を昼夜問わず家に呼ぶようになった。
祖母の介護が必要になり大変な状況の中で、
空気も読まず好き放題やり始めた。
私だって高校生で多感な時期だ。
夜中寝ている間に兄が友達を連れてきていて、
連れてきていることもこちらは知らず
朝の洗面やお手洗いでかち合い
知らない男性に驚くことが増えた。
ものすごく嫌だった。
親戚が勝手に家に入ってくる状況さえ嫌だったのに、
他人も居座るようになった。
そもそも高校生(女)がいる家に
毎日不特定多数の大学生(男)が出入りする環境を許す母が憎くてたまらなかった。
来るなとは言わない、呼ぶ回数を減らすことと友達が来る時は事前に(前日までに)言うことを徹底してくれと兄にお願いした。
私を無礼ている兄は一切私の話を聞かない。
守らなかった。
母にどんなに訴えても、このしんどい状況でまたうるさい私。
適当に流されて終わった。
なんで兄だけ好き勝手できるのか理解できなかった。
本当に兄が憎かった。


私が神経質な性格であることもあったが、
気が休まる瞬間がずっと無かった。

私の大学受験の前日でさえ
配慮することもなく夜通しどんちゃん騒ぎだった。
本当に本当に兄が嫌いでたまらなかった。


大学では一人暮らしをしようと心に決めた。
祖母が良くなったり悪くなったりを繰り返していたので、
実家からだと片道2時間半の大学で
通うには遠いので一人暮らしの理由にはなるが、
帰ろうと思えばすぐに帰れるところを選んだ。
希望していた大学にも推薦で早く決まり
住む家を探そうかと考えていた矢先、
母方の祖父が自殺しようとした。
なんとか一命を取り留めたため未遂で終わった。
母方の祖父も病を患っており、
そこから気を病み事に至った。
病院と併設されている老人ホームに入っていたが
自殺企図のある人の受け入れはできないという理由でホームを出ざるを得なくなった。


母の弟は、祖父を看ることはできないと母に相談してきて、一つ返事で母が受け入れた。
父方の祖母が住む我が家に、母方の祖父も一緒に住む状況となった。
母1人で2人の介護ができる訳もなく、
こんな精神状態の祖父を1人にできることもなく、
私の一人暮らし計画は消え去った。

往復5時間かけて大学に通いながら
母が仕事でいない曜日(自営業のため曜日固定で帰りの遅い日がある)は授業のコマを減らし、昼までで終了させて真っ直ぐ家に帰り家事をこなしながらいつ急変してもおかしくない祖父を看る。

そんな大学生時代だった。

祖父が亡くなり、社会人2年目直前で
父方の祖母の状態が悪化し、
完全介護となった。
褥瘡ができないように体勢を変えたり
食事の介助をしたり下の世話。
認知症にはなっていない祖母にとっては自分の状況を理解できるため、消えない羞恥心との戦いで、周りの時間を奪っていることに申し訳なさそうではあったが、小姑2人とは私の悪口に花を咲かせていた。
コソコソ話しているつもりだろうが、
耳が悪いので声がでかい。
全部丸聞こえだ。

大学生の頃から色気付いて化粧をしだして気持ち悪い。帰りも遅く阿婆擦れ女。
1番下はやっぱりわがままで上に甘えて生きている、だから仕事もせず毎日家にいる。


大学は往復5時間かけているのだから、
帰るのも遅くなるでしょう。
就職先だって、選ぶところをミスした私の責任でもあるけれど、残業続きで日付を回って帰ってくることが多々あった。
朝も早く、寝る時間も無くて身体を壊し、退職を余儀なくされたが、これは甘えですか?
1度の失敗がここまで言われますか?
退職後自分の体調を整えつつ就活をしながらの3ヶ月間、無職期間は介護に追われた。
散々悪口を言われながらも耐えた。
再就職先が決まり新しい環境に慣れること・仕事を覚えることが大変でも、介護手伝いは絶対こなした。憎くてたまらない相手の介護ほどしんどいものは無かったけれど。母が大変なんだから。この家に生まれてしまったから。

その間兄は好き放題。
自分がやりたい勉強をやりたいようにして、
やりたいバイトを好きにやって、
希望の就職先で働いてからフリーランスになって、
冬はスノボー夏はバーベキュー、
友達と大人数でやりたいことをやりたいままにやる。
仕事終わりにジムに行って趣味の筋トレに勤しむ。

家の状況を考えるなんて一切無かった。

別にそれを咎めたことなんて一度も無かった。
本来それが健全だと思うから。


ただ、私にだって高校生から社会人2年目までの、あの若くてなんでもできたんじゃないかと思えるような時期に、なにも出来なかったなっていう心残りのような気持ちがある。
同世代で同じ状況の子なんておらず、
事情を理解できる訳もなく、
ただただ私は付き合いの悪い奴だった。
疎遠になってしまった友達も、入りたかったけど諦めたコミュニティもそこで作れたかもしれない人脈も、全部捨てざるを得なかった部分がある。
周りが恋愛で悩みながらもどこか楽しそうなのに、私の悩みといえば介護という現実と命に向き合う長い時間で、私だって家族以外のコミュニティや人脈を大事にしたいと思う瞬間があった。

捨てきれないからこそ、
大学時代友達との夜ご飯に出かけるぐらいは許して欲しかった。
大学終わりにダッシュで家に帰って家事を全て終わらせて、祖父母を看ながら夕食を作り、母が帰ってきたら祖父母を看ること以外はなにもしなくていいように、やることをやってからバトンタッチをして、友達との夕食を楽しむ数時間くらいの息抜きもわがままですか?
"この状況でどんな神経してたらそんなことができんの?"
母の言葉が呪いのように忘れられない。
友達と会ってる瞬間、介護や家事をしていない好きなことをしている時間が全部罪悪感で埋め尽くされた。

兄にはなにも言わないのに。
私は全部わがままなのに、兄は許される。
その状況が、腹が立って腹が立って仕方なかった。

姉だって忙しい合間で早上がりの日は
介護と家事を手伝っていたし、
割合的に私の方が多いのは大学生期間が大きい。
時間に融通が効きやすいのだから仕方ない。
そう思っていたけど、兄は本当になにもしなければ帰ってくるかも分からない。
遊んで帰ってくるかどうかも分からない人のためにご飯なんて作らない。
それなのにたまに帰ってきたかと思えば母に作っていたご飯を食い尽くす。
"これ作ったんお前やろ、味がなー…笑"
笑いながら食べ終えてそれを言う。
"お前肥えてきてない?ジムとかいけよ、だらしないで。笑"
この状況で、こいつにはなにが見えているのか。
私を蔑む言葉の数々は、自由でも許されるあなただからできているだけだとも分からず茶化してくる。
小さい頃から変わっていない。
冗談や軽口を叩いていいところと悪いところの見極めさえできない。
だって、私には何を言ってもいいっていう成功体験を積んでるから。


とことん嫌いになった。


極めつけが、祖母が亡くなったときだった。
祖母が亡くなって、
やっと小姑たちから解放されると思った。
父・曽祖母・祖父母のいない家に勝手に入ってくる理由はないから。
ただ、うちの鍵を持たれている。
この状況が嫌で堪らなかった。
母に、家の鍵を変えて欲しいとお願いをした。
その時兄もいた。
私の言葉を聞いた兄が
"いや、ばあちゃんもおらんのに入ってくるわけないやん。わざわざそんなんせんでええやろ、いらんいらん。"
そう言った。
その一言でそれもそうねで終わらせた母が許せなくて堪らなかった。
私が我慢してきたことは全部シカト。
何年耐えただろうか。
金銭問題だってあった中で、
入ってくる理由が無かったとしても
入って来れる状態のままであることが不快で堪らなかった。

さすがに腹が立ちすぎて抗議した。
悪口に耐えていたことも、
"近い部屋に行くお前が悪い。"
介護をしていたこともなにもかも
"お前が選んでやったよな?"
そう言われた瞬間、
私の中で耐えてきたもの全てが切れた。


確かに、空気を読んで、状況を察して、
私がやった。
当時我慢したこと全部、
私自身が介護をやろうって決めたし、
あの時間他の誰よりも祖父母の側に居れたんだから、それで良かったんだって自分に言い聞かせて納得させていた。
ただ、それを他人に言われるのは違った。
同じ家に住んで、同じ環境で育ったにも関わらず、誰かがやらないと家庭が崩壊する状況の中で兄が自由に出来たのは少なくとも私がやっていたからだ。
"お前が選んだよな?"
そう言われた瞬間私の善意を搾取された感覚で、叫び散らしたくなるほど怒りで震えた。


結論、母は家の鍵を変えなかった。
たかがそれだけのこと?って思うかもしらないが、私にはこの鍵が本当に大きかった。


私が我慢してきたことも理解して、
介護や家事も助けられたな、有り難かったなっていう気持ちが少しでも母にあるなら、
"何もしていないあなたが言うことではない、あなたが黙りなさい"兄にそう言ってくれることを期待した。
鍵で満足するならと、私に譲歩してくれることを願った。
やっぱりここでも、鍵は私のわがままだった。
兄の言うことが通る。
ここでも兄が咎められることはなく、
兄の"俺が正しい"の成功体験となった。


この出来事で私は実家を出て一人暮らしするようになった。
そのときに、もう兄とは一切関わらない。
冠婚葬祭も出ないのでお元気で。
それで終了した。
そこから7年、一切兄と話はせず今まできた。


たまたま姉に用事があり実家に帰った時
兄とかちあった。
突然話しかけてきて第一声が
"来週の日曜彼女と結婚の挨拶で来るからお前も来い"
どの口が言っているのか。
丸7年、一切言葉も交わさずあの終わり方で、それでも自分は祝ってもらえて当然ばりの物言いと、信じて疑わないその姿勢に開いた口が塞がらなかった。
当たり前に断った。
私には関係ない。


でも、母の機嫌が悪い。
なにも言わないが顔と態度で分かる、私に怒っている。
なにを怒っているのか尋ねた。
"関係なくないでしょ、家族なのに。あんたが勝手に怒ってるだけでしょ、しつこい。"
母の感覚も理解できない。
兄の結婚挨拶に行かないことが
これがまた私のわがままなのだ。
善意を搾取するだけ搾取して、
この家のメリットと恩恵だけを掻っ攫って
デメリットも負債も一切背負わない兄の人間性が最初から合わない。
嫌いだと伝えても伝わらない。
家族だから。
都合の悪い部分はお前が選んだで済ませ、
都合のいい時だけ家族なんだからと縛ってくることが許せない。

断固として兄の結婚には関わらなかった。
そもそも1週間前に予定を言ってくることも私からすれば信じられない。
相手の都合を考えて、みんなの予定の合う日を前もって日取りとして決めるのが私の中での当たり前で、そこが本当に合わない。
これは私が高校生時代、毎日のように友達を家に呼ぶ兄に、頻度を減らして欲しい、人を呼ぶときは事前に言ってほしいというお願いを母がルール化せず野放しにした結果だと思っている。


家族と感覚が本当に本当に合わない。



これは、私がわがままですか?


あの子だけはわがままで難しいからめんどくさい、よく分からない。
私だけ腫れ物に触るような扱いを受けることにいくつになってもいちいち傷つく弱い自分が1番嫌いだ。


生まれて良かった、幸せだ、楽しいと感じれた瞬間がない。
いつだって主役は自分以外でモブの人生。
そんなモブのただの愚痴です。
怖くて死ぬことも選べずただ息をしながら今まできてしまったしょうもない人間の独り言です。
それでも誰か共感してくれる人が1人でもいればな…という淡い期待のある自分の文章に反吐が出ます。気持ち悪くて仕方ないけれど、やめられずお目汚し失礼いたします。

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