自己肯定感が高いひとの気持ちを
理解する過程で、パニックに陥ったお話。
・自己肯定感が低い人は自己中
・他人軸な人は他者評価に囚われてるだけ
・嫌なことは嫌と言ってほしい
これを理解しようとしたら
こうなりました↓↓↓
・優しくあるために生きてきたけど、
私はやっぱり優しくないっぽい
・他者評価に囚われてない人は傷つかないっぽい
・この人たちの感覚が本当にわからない……
今の感覚ではこんな感じです(´・ω・`)
・自己肯定感が低い人は自己中
→自己肯定感が高い人の色メガネで見たときに自己中に見えやすいだけであって、優しさがニセモノというわけではない
・他人軸な人は他者評価に囚われてるだけ
→他者評価に囚われていなくても、自分の気持ちを大切に扱ってほしい気持ちはみんな持っている。
たぶん他人軸仲間もそこそこいる。
・嫌なことは嫌と言ってほしい
→心に余裕があれば自然とそう思えるようになる
心が成長したとか、
そういうお話ではなくて、
ただ自分の自己肯定感が上がったから、
自己肯定感が高い人の気持ちを
自然と理解できるようになりました(´・ω・`)
自己肯定感が高い人の気持ちがわからない状態と
自己肯定感が低い人の気持ちがわからない状態は、
同じことだと思います(´・ω・`)
どっちも視野が狭いです。片方しか知らないから。
視野が狭いときは視野が狭いことに気づけないものです。
(たぶんブーメラン)
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批判に耳を傾けすぎると良くないのは、
「不満」とか「言い訳」とか
「反発したい気持ち」、
あるいは「申し訳ない気持ち」
「自分を責めたい気持ち」……。
そういう、茶色い気持ちでいっぱいに満たされてしまうからだな、と思います。
茶色い気持ちから、白い気持ちを作り出すのはすっごく大変だけど、
白い気持ちから、白い気持ちを差し出すのは、そこまで大変ではないのです。
ー
自分の意見を伝える段階を乗り越えて、
相手に選択肢を投げることができる段階がいちばんかっこいいのかな、と思ったりします。
意見を伝えるって、
自分がその意見を持っていることの
確認作業でもあると思うから。
ー
ずっとずっと
静かに、何かに、怒っているの。
でもたぶん、
みんな怒ってるんじゃないかなって。
怒ってる部分が違うだけで。
理不尽な社会の仕組みに、
報われなかった過去に、
認めてくれなかった誰かに、
あるいは、過去の自分に対して。
怒ってるのって
目の前のその人に対してじゃなくて、
もっともっと大きな何かに対して、だよね、
ー
しんどいときって
「たった一言」にものすごく
救われるんだよね、
私も誰かの「たった一言」になりたいな。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください