映画や小説、漫画などの物語を楽しんだり、感動したりできる心はちゃんとある。
家族との仲は悪くないし、友達は少ないながらもいる。
でも、時々無性に死にたいと思う時期がやってくる。
酔ってぐちゃぐちゃになるために酒をたくさん飲んでしまう。
そしてカッターで腕や指、首、脚に傷をつける。
血を拭って絆創膏を貼って、少し経ったらまた次に切る場所を探している。
自分は何でまだ生きているのか、いつまで生きているのか、
どこまで正常でどこから異常なのか分からない。
20代半ばなのに大して何も考えず中途半端過ごし、強烈にやりたいことも、なりたいものも特にない。
ずっとうじうじしている自分が嫌になるけど、変わろうとする気力もない。
できるだけ早く死にたい、という気持ちが常に心の底にある。
同じような人はいるのでしょうか。
そんな人はどのように生きているのでしょうか。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください
白蛇
こんばんは。
何だかお辛そうですね。
つまるところ、希死念慮の一種なのでしょうか。
実際に過度の飲酒や自傷行為に繋がっているのなら、何かしらの精神疾患の可能性も否めないのかもしれませんけれど、私は専門家ではありませんので、その辺りのことを詳らかにすることは出来ません。
うじうじしているご自分が嫌と云うことですけれども、何か、ご自身を変えようと想う望みがあるのかしら? けれども、なりたいモノもやりたいことも特には無いとも書かれていらっしゃる。
どのように生きているのか? と云うご質問から手前勝手に推察するに、生きがいのようなものが欲しいのでしょうか。目標を持って生きている人に対して、或いは憧れや或いは劣等感でも抱かれているのかしら。
私の浅はかな考えで言えば、正常と異常の明確な線引きなど、無いに等しいように思います。その良し悪しは兎も角、同じ存在何て居ないものね。〇〇だから健康で正常、△△であるから不健康で異常、と一概には言えない。
生きる理由があれば、自傷行為や希死念慮が無くなるのか、それ以外の何かがそうさせるのか、私には分かりませんけれども、別にうだうだジメジメ生きていても良いんじゃない。
私の物思いを押し付けるだけになるのも気が引けますので、少し自分のことを書こうかと思います。学生の頃のどうしようもない生活を送っていた時のことですけれど、女遊びも悪ければ酒癖も悪い、挙句の果てには失踪紛いの旅にも出てしまう。性分なのでしょうけれど、日に日に衝動的な行動がエスカレートしていましたから、あのまま放っていたら今頃、野垂れ死んでいたのではないかと思います。
知らない土地でぼんやりと過ごしていたら、色々と吹っ切れてしまったのですけれど。
――(現代人と云うのは)死が生の前提になっているという緊張した状態にはない。そういうことで、仕事をやっています時に、なんか生の倦怠といいますか、ただ人間が自分のためだけに生きるのに卑しいものを感じてくる――生きるのも自分のためだけに生きることにはすぐ飽きてしまう。
或る昔の作家がこんなことを言っていました。この点で言えば、理想と云うのは必要なのかもしれません。とは云え、私もそんなに若くは無いし、今や枯れ木のような人間ですから、
あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。
――こんな言葉をよく思い返します。寝て起きて、食べて寝て、又起きて、これだけでも上等なモンです。そうして、他にも色々のモノが付いて来る。
泣くに時があり、笑うに時があり、悲しむに時があり、踊るに時があり――
――こんな言葉もあります。即ちすべての事には季節があり、すべてのわざには時があると言うのです。
もっと気楽に生きてみてはいかがかしら? 別に死にたくても良いし、手足切ってても良いじゃない。喜びも苦しみも、過大にも過少にも受け止める必要なんて無くて、小さな花壇を作って水をやるみたいに、色々の物事を自分の生きやすいように受け止めてみたら良いのよ。
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