未成年、閲覧禁止っていうか、未成年は理解できない大人の話。
人が死んだ時、どうするか。まず葬儀の準備から始まる。
誰に死亡を伝えるか、会社は? 親族は?
葬儀の種類やお通夜は?
著名人なら、告別式という別の儀式も必要になることも多い。
死ぬ人にとっては、どーでもいい話だが、残された人はお金や人間関係で、それらを簡単には決められない。
変な葬儀や礼儀を欠けば、その後を生きる自分が困る。
そうは言っても、とってもアウツッ(アウトッ)な、葬儀をしたことがあり、見たこともある。まだ経験が浅く、若かったのだ。
さらに葬儀の後に、遺骨をどうするかという問題がある。長く家に置くのはよくないとされる。長くて1年、普通は四十九日で納骨。
私はそういうの、よくわからず、葬儀は慌ただしく行うしかなかったが、納骨は少し先だったから、生前言っていた通りにお墓を購入し、墓石なども準備し、四十九日に間に合わせた。ちなみにそのお墓は永大供養費が発生しない。最初の時にまるっと一括払い(分割もできたかも?)だった。
冷静ではない時に大金を動かすのはよろしくない。と、今は言えるが、その時にそんな落ち着きがあるものだろうか。
お墓は安くても墓地と墓石合わせて最低100万ぐらいから。そんな大金があったのは、遺産がすぐさま、私に渡ったからだ。通常の遺産相続は葬儀や納骨後になることが多い。
我が家は普通ではない。いろんな角度でそう言える。けれど、外面的に普通のことを要求される。
祖父母のお墓は、私の小さな時は、古くて小さな墓だったのが、一方は山を売ってまで、墓地のうち上のほうに大きな墓石やオプションを購入した。
ざっと1千万ぐらいと思われる。
田舎の戸建てが買える金額で、お墓を買うのは、それだけ亡くなった人、祖先を大事にしているアピール。
アピールと感じる私がおかしいのか?
死んだ人がお墓にいると思っている人、どれだけいるの?
年に何度、そのお墓行くの? 命日、彼岸ぐらいでしょ。そのために大きな墓石や場所変えて上のほうに移す必要、あるの?
親せきが多い、その墓に大勢入っている、もしくは入る予定なんかなあ。
親せきでも、そういうことは尋ねられない。
お金を出すのも、山を売るのも、その人の自由で、親戚だろうと私が何か言える立場ではない。
そういう関係で、故人の遺志だからって、こんなところにお墓作るの、と言われたことを思い出す。
後で思えば、遺産が入っているんだから、もっと便利で大きい墓を作ってもよかったのだ。その頃の私の金銭感覚は今の私と全然違う。
それでも、故人の遺志、というのが、その時の私には大きかった。
亡くなった人が希望していたように、そのままにしかできなかった。
しかし、葬儀にしろ、お墓にしろ、お坊さんを呼ぶにしろ、お金がかかっている。私が依頼した葬儀社では、そうしたほうがいいと言われなかったが、死に化粧とか、死に装束とか、買わせるところもある。
比較的安かったのだろうけど、それでもそれなりの金額である。香典もらえるじゃないかというが、遺品整理もかなり費用が必要だった。
人が一人死ぬと、大金が動く。下手な死に方されたら、親戚にも影響する。家族は親戚への言い訳と、自分の苦しみ悲しみの狭間で、筆舌にしがたい状態に陥る。
保険は? 預貯金は? 証券は?
なのである。私の場合はそれ以外のこともあったが、それは投稿禁止事項として控える。
本当は、大事な人が死んだということで、嘆きたいのに、現実的な問題を放置できない。そうなると、後までずっと、嘆きが残り続ける。
ひたすら泣いて過ごしたい。そう思っても、仕事はどうする?
親が死にました、だから休みますって、忌引休暇の全部取る人はあまりいない。
それ以上なんて、よほどの事情がないと許されない。遺品整理があるったって、土日でやれよ、仕事に持ち込むな、だよ。
人の命をお金に換えられるか?
でも、ドラマだと遺産のために、祖父母を殺そうとしたり、殺したり。
現実でも、具体的に何かはしないけど、心の底では願っていたり。
保険金殺人なんてのも、あったりする。
人の命はお金と量れないんだけど、お墓だったり、葬儀だったりで、勝手に量られる、というのも現実。
え、遺産もらったの? お墓も作って、残りのお金はどうしたの?
かもしれないのだが、その前後は家計簿もつけておらず、そのお金をどうしたのかよくわからない。
葬儀とか、お墓とか、香典とか、大金が右から左へと動き、私の気持ちは追いついていなかった。
私の気持ちは一か月経過しても、一年経過しても、立ち直らなかった。表面上、それを隠していただけだ。いつまでも立ち直らない背景を、知られてはならない…と思っていたからだ。今は知られても、どーってことなかったんじゃないのって思うけど、その時はそう思って、繕っていた。
その頃の記憶がぽっかりとない。記憶喪失ではない。気持ちがそこにないまま、今しなければならないことを、とりあえずしていて、心ここにあらずで一日が過ぎて行っていた。
遺産なんていらない。死んで欲しくなかった。
それが言いたいのに、言わせてくれない。
それから1年ちょっと後に、さらにダメージを受けることが起きた。
まだ立ち直れていない私には、現実が現実と思えなかった。
今も完全に立ち直れていない。詳しいその時の状況を書けない。
今になって、現実として、お墓があることを思い出した。って、どれだけその過去を無意識に封じていたかってことだ。
亡くなった人のためにお墓を購入する時、名義は作った人になる。故人名義にはできない。だって死んでいたら、その後のお墓の管理ができない。火の管理や、供え物で規定があって、そんなに厳しくはないし、参拝者がどういう関係の人とわからないのがお墓でもある。でも、別のお墓に破損とか、逆に破損させられたとか、連絡を受けて対応する人は生きてないと困る。
手続きで、作った当人の私の許可なしに、そこに誰かの遺骨は入れられないけど、私の遺骨は当然入れていい。
私のその頃の考えでは、私が入る別のお墓を作るつもりだった。お金はあったのだ。でも、どこにお墓を作るかというのは、父の方のお墓問題を目の当たりにして、悩んでいるうちに、経済的に失脚した。
父の祖先が今私がいる県にいて、代々のお墓がある。だが、父が住み暮らした実家は、私がもといた県にある。
他家に嫁いだ人(女性)は、配偶者のお墓に入る。
でも、父や父の兄弟(男性)は、代々のお墓に入る。小さい頃、家族で全員でお墓参りして、そう説明された。
父の死後、子孫の私らに永大供養費を負担せよ、と言ってきた。
田舎の風習で、遺産を一番多くもらった者がお墓の管理をする、というのがある。うちの両親は、祖父母からの遺産を一切受け取っていない。
父が暮らしていた家は、かなり古く、なぜだか赤の他人に譲ったことになっている。なんの理由もなく、ということはないだろうし、古くても戸建ての家を譲渡されているなら、お墓の面倒を見るのが筋じゃないのか?
それ以外でも、田舎の風習ではこうするものだと言って、従わせているんだから。
要求された永大供養費はたいした金額じゃない。だから、それぞれ分担と言わずに、私が一括で払ってもいい。でも、そうするなら、私が家長と同じ権限もらっていいんですか、って話。お墓の面倒を見るって、そういうことだもん。
ここらの風習通りにするなら、一番遺産を多くもらう長男が、親戚たちをまとめ、新年の集まりの場所提供や誰かの葬儀の手配だとか、トラブルの相談にも乗る。
だが、実際には祖父死後、父を含め、私らは新年の集まりなんか呼ばれてもなく、開催もしない。現代で、そんな風習は、長男家に負担をかけるだけだ。
そこらは現代的になっているのに、都合のいい時には、昔からの風習で、と言って来る。
昔は親戚同士の結束が必要とされたのだろう。現代では、面倒な人間関係になって、お互い必要がないなら、関わらない。私らが大変な時は、たいしたこともしないのに、金の必要な時だけ連絡ですか、ってなった。
私にとって、家族とは父と母が築いたもの。親戚とはあまり密接ではない。小さい頃から一緒だったり、よく相談に乗ってくれた、なら違うかもしれないが、親が言うから、正月などに行き、他の孫と同じくお年玉をもらい、それ以上がない相手を、一緒に暮らした家族と同じに考えられない。
私みたいな考えの人が増えたと思う。義理を欠いたら、今後が困るという時代ではない。たまに、おばあちゃんっこだったり、いつまでも親離れできない人を除き、自分の人生は自分で、でしょ。お墓だって知らない先祖と一緒に、なんて思う人がどれだけいるの?
伝統ある家でもなければ、一般的じゃない。
私は自分の死んだ後のことにこだわらない。両親だって、いろいろ言ってはいたけど、絶対にこうしよう、こうしてほしいというものじゃなかった。本当にそうしてほしかったら、自分で墓地だけでも買うとか、遺書を書くとかしてる。
そんなものでしょ。自分が死んだ後、骨をどこに納骨するかって、絶対ここに、って言う人、見たことがない。テレビなどで、海に散骨希望とか見るけど、それがまれだからテレビでやるんで、普通に火葬して、適当なお墓でいいよってもんでしょ。
自分の、には、こだわない人が多いんじゃないかな。でも残される側なら、自分の大事な人のお墓には、こだわる。
それは、大事な人が落ち着いて眠れますように、なんて、夢を見るより、そう思いたい、残された人の気持ち。若ければ若いほど、もっと生きられたはずの自分の大事な人を思うんじゃないかな。
お墓のことで、永大供養費のこと以外に、困ったことが起きた。これも詳しく言えない尋常ではない出来事なのだが、父はそのお墓に入っていない。おそらく、父も望んでいない、私も望まないところに入っている。
なぜそういうことになったのか、というと、親戚に言わせたら、私のせい。私がちゃんと管理してないからだ、なのだ。
なぜだか、そういうことにされる。私は一緒に暮らしていなかった。それが悪いかのように。両親の世代の人は、親の言うことはほぼ絶対で、成人したら独立するのが普通な現代に取り残されている。自分らの子に、同じことを言ったとしても、理解されるんだろうか?
私が息苦しかったのも、わかってもらえるかもしれない。
親が死亡して、親せきに頼りたくても頼れない。親の年代だから、私ぐらいの子供がいて、その子供のことで精いっぱい、私が親の死後、抱えさせられた問題は、私が他の親せきに迷惑をかけないように、全部負担しろ、だった。
父の墓について、私は後になって知った。親せきで知っている人がどのぐらいいるかわからない。おそらくほとんど知っていない。私はお墓目的でこの地に転居したわけではない。かつて家族で来た思い出の場所だからだった。ここの親戚とはそれ以前から絶縁状態だった。
お墓参りは、父のためだと思われているが、家族の思い出だからだ。最初は近くだしという軽い気持ちでお参りしたら、親戚に出くわし、父がそのお墓に入ったから、私が来ていると勘違いされた。命日は父のも母のも、忘れられずに覚えているから、仕事があるなら、位牌にお参りしていた。仕事を休めない時期もあって、必ず命日にお墓参りなんて、できなかったんよね。
久しぶりだったからか、その親戚の人は、私が命日を忘れずにお墓に来ているってことで、感激されてしまい、なんとなく、その後も行くようになった。(という謎の背景)
私はお墓にこだわらないと言っても、父が絶対、今のお墓を望んではいなかったと言い切れる。
諦め半分に代々のお墓に入るんだろうと、悲しそうに言っていた。その前に誰かがあの墓をもう少し、きちんとした墓石にしてくれれば、って言っていた。墓石は高いので、それなりのって100万ぐらい。
父の遺産を見ても、その程度は出せるのに、お墓に払わなかった。
今のお墓に不満はあっても、お墓というものに価値が見いだせないから、本当はそういうことは長男の役割だから、だろうなあ。
私も代々の古いお墓があって、死んだらそこに入ると言われても、どーでもいい。死んだ後のことは、関知できない。むしろ、新しく墓地買わなくていいし、残された人はラクだから、ラッキー、その程度だ。
都会ではお墓持ちが、戸建て持ちよりも重視だと一時期、ニュースで言っていた。どっちみち土地代が大きい。お墓って特に何かに役立つでもないのに、墓石も高いわ、永代使用料・管理料もかかるわ、住宅ローンの支払いが終わった後、次はお墓にローンですか、って、なる。先祖の古い墓でもあるなら、とても助かるってことらしい。
父の今のお墓を誰にも言えないまま、それをどうにもできないと思った。そうして飛び出すように、転居した。
お墓そのものは、父も私もこだわってない。だけど、残された娘として、父がそこにいるというのは耐え難い。唯一の手段は私が長生きすることしかない。
この世は生きている人が支配する。死んだ人はクチナシだ。
手段を選ばないなら、他にも方法はある。少し前の、喧嘩っ早い私なら、なんだってしたかもしれない。穏便にというなら唯一の、って話だ。
お墓とは誰のためにあるのか、再度問う。残された人のためだ。
そうして私は父のその墓を、娘として納得していない。
代々のお墓じゃなくてもいいし、永大供養費を払う払わないじゃなくて、父らしくいられる場所に移したい。
私のために。
そのために、私は生きる。どんなに苦労しても、大病を患っても。
取り戻すためにも、いつか戻らなければならない。その時、親戚の誰が生き残っているか、私を誰も覚えていなくても全然構わない。もとから、それほど親密じゃなかった。誰かに言えば、私の希望をかなえてくれるなら、もうすでに、かなえてくれているはずだ。
そうじゃないから、私はそこから脱出した。
たかがお墓だよ。私だって、自分の墓は、って、結局どうでもいい。
父のお墓は地元がいいのか、先祖がいたという、その墓地がいいのかわからないし、古い墓地というのは、空きがない。田舎でも生きている人と同じだけ死ぬんだから、それぞれの家でと言っていたら、場所はなくなる。
よく、遺言を残すことを推奨してるけど、子供がいる人は、遺言を定期的に書きなおすことを義務づけてほしい。それがあれば、子供はその時になって、本当はどうして欲しかったのかと悩まずに済むし、別の人が自分の思うのとはかけ離れたことをした時に、撤回ができる。
人の死は、大往生でも軽くない。自分や周囲を納得させるために、そう言うとしても、大事な人であれば、死はそれぞれ重い。
他人だから、あまり大事じゃないから、軽く考えられる。
自分の親でも同じことを言えるか?
自分の子供でも同じことを言えるか?
遺骨なんて、そこらにばら撒けって、そうできるんですか?
お墓は単なる場所ではない。
魂が眠るところでもないし、故人の思い出が詰まってもいない。
残された人が心を故人に馳せる場所。だから本当は、故人の希望じゃなく、残された人の希望でいいのかもしれない。
けして安いものではないし、手軽に扱っていいものでもない。
私は母のために作ったお墓に一緒に入ることに抵抗があった。でも、一緒でもいいかも。私の方はどうでもいい。だって私には子供がいない。
私のように、親がこう望んだからと考えたり、死を悲しんでくれる人はいない。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください