発した言葉が、発したままの意味で
受け取ってもらえることって、
案外少ないような気がします。
同じ人と何度か話すことで、
自分の考え方と比較して、
その人のデータがアップデートされていく。
それを繰り返すうちに、
「このタイプの人にはこういうパターンがある」というフォルダが作られる。
このフォルダは、対面で人と話すときには、心の奥底に仕舞われています。
心の中で、「こういう人ってこうだよな」と思うだけ。
ところがどっこい、
SNSではそれを大開放してしまいます。
(私もそのひとり)
「こういう人ってこうだよね」と、自分を「こういう人」に当てはめて話されるのは、あまり気分がよくありません。
話そのものを聞いてもらえてない気がするし、
自分そのものを見てもらえてない気がします。
なので反論したくなります。
「あなたみたいなタイプの人は、こうだと思うよ」って。
その人に直接言い返すのではなく、
SNSで不特定多数の人に向けて発信をしたり、
似たタイプの有名人にコメントしたり。
それを見た他の人が、またもやっとします。それでまた言い返したくなります。
「いやいやあなたってこうだからね?」って。
感染症のようなものかもしれません。
私はこの渦のど真ん中にいまする。
“ 今までに見た、私と同じタイプの人をジャッジする意見 ” にちょっと反論したいのです。
論理を重視するタイプの人でも、好きな人はいっぱいいます。尊敬している部分もあります。否定をしたいわけでもないのです。
ただ。ただ、ね。
すっごく現実に近いメガネを持っているからこそ、「自分の視点も、数ある現実のひとつである」という視点が抜けているようにも見えるのです。
(そんなことなかったらごめんね、)
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