死にたい、死なせてくれ。
そう願う人間を止めなきゃいけない理由って何よ?
苦しいから死にたいと思ってるんだ。
俺は赤の他人が死のうが生きようがどっちでもいい。
死んで欲しくない人間が止めれば良いと思ってる。
親から子、子から親、友達、恋人、配偶者etc。
死んで欲しくない相手が止めればいい。
俺は母親が死にたいと異ったら止める。
死んで欲しくないからな。
親父や弟が死にたいといったらわからん。
死ねばいいと言うかもしれん。
少なくとも俺が死にたいと言ったら親父は『死にたきゃ迷惑にならないところで勝手に死ね』くらいは言いそうだ。
俺もきっと同じことを言うだろうな。
ただその時になってみないとわからねえ。
なんだかんだで家の中で突っ伏してたら『何してんだ?大丈夫か?』くらいの声はかけちまうだろうしな。
知らない誰かの死にたいは知ったこっちゃない。
そんなの心配できるほど余裕はねえ。
知ったところで何が出来る?
ましてや『死なないで』という言葉なんて要らないと宣言していたら?
それでも死なないでと言うのが正しいのか?
今は多様性だなんだうるさい。
『死にたいって言ったらお父さんお母さんが悲しむよ?』
なんて言ったら『お父さんなんていない、顔も知らない』なんてのがそれなりにありそうだからな。
もはや家族のあり方ですら千差万別。
死にたいって理由も人それぞれ。
止めたいやつが頑張って止めればいい。
俺は頑張ってる人間が好きだ。
頑張ってる振りをする人間は嫌いだ。
頑張ってる人間は尊敬する。
頑張ることを諦めた人間は軽蔑する。
無力な人間も軽蔑する。
俺と同じ人間だからな。
かつては俺も止めたい側だったよ。
知らない誰かを救う前に、
知ってる誰かを助けてやれよ。
無責任な言葉だけじゃなく行動でだ。
それでも言葉しかかけられないなら何度も声をかけてやれよ?
その場しのぎの綺麗事じゃなくてな。
中途半端な綺麗事ほど嫌なものはないぜ?
少なくとも俺にとっては。
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