私はADHDと双極性感情障害が最近発覚しました。
お母さんからは常に「普通ならできるのに」「なんでできないの」と言われて育ってきました。どんなに怒られてもどんなに努力しても出来ない事が沢山あるのが悔しくて辛くて無力でたまらなくて。
だから今回の検査や診察で出来ない理由が証明されたのは私にとって悪いことではありませんでした。
でも、最初っから出来ないはずの事を出来るようになれと怒鳴られ呆れられてきたのが悔しくなってしまって心がどうしてもモヤモヤしてしまうんです。
お母さんは絶対的な味方ではいてくれなかった、私に普通ではない欠点があるたびに必死で矯正しようとして何度も何度も何度も怒鳴り散らかした。
矯正しようとすること、普通になってほしいと願うことが一種の愛であることは理解出来ます。ですが、受け取れない愛を押し付け続けられては私の心はいったいどうすれば良かったのでしょうか?私は出来ない事を受け止めて欲しかったんです、努力して背伸びした私じゃなくてそのままの私を肯定して欲しかった。
そしてお母さんは普通が大好きなのに普通じゃないと証明されてしまった私はどうすれば良いのでしょうか?
こんな脳みそじゃなければいじめられてなければDVをうけてなければって過去の自分が可哀想で悔しくて、未来が不安で不安でたまりません。
こんな苦しい思いをしている人は出来ればいて欲しくないけれど、もし共感者の方がいらっしゃいましたらコメントくださると嬉しいです。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください
名前のない小瓶
普通普通って、いったい何をもって普通とするんだろう。
確かに、自分の子どもがそういった特性を持っていないことを望む親っていうのも一定数いるらしいんだよね…普通であるはず、ってその特性を認めたくない人もいるらしくて。なんでできないの、と言われても、それが自分でも分からないことも多いからできなかったりそれを繰り返してしまったりすることを分かってほしいというか。出来なくても一緒に考えていこうねってそういうことであってほしいなって思うんだけどね。別に、たぶん、お母さんだって完璧人間ってわけでもないじゃんね。人間どこかしら一長一短あって、それが見えにくいか見えやすいか、またその程度の違いでもあると思うんだけどね。
ありのままを愛してくれたらどんなに生きやすいだろう。そうでなくても、これはできない、じゃなくて、こうすればできる、とお母さんは前向きに考えてほしいなって思うけど、どう思う…?
例えばなんだろう、忘れ物とかケアレスミスとか、やるべきタスクがあることに関して、ふつうはそれができる、忘れ物しない、ADHDだからできない、とかじゃなくて、例えば今日やるべきこと・持ち物を小さく分解して付箋にして色々なところに張ればできることな増えたねやったね!みたいなさ。そういう会話もあったらいいのにね。
お母さんは普通が大好きなんだっけ。
普通ね…自分もまあ普通ではないからな。
吃音っていうの持ってるんだ。まあ特性というか個性というか…
これをじゃあ矯正しよう、って言われてもね。治らないからね。
もちろん、治らないとしてもそれにかまけずできることはもちろんするけどさ。
矯正で思い出したけど、昔は左利きも右利きに矯正されたんだっけ。でもさ、無理なもんは無理なこともあるよね。それは俺も思う。
ちなみに、小瓶主さんは、「普通であることを願うこと、矯正しようとするのが一種の愛であることは理解できる」、とあるけど、じゃあそれはそのお母さんが小瓶主さんが社会に出た時に生きやすくなるためにやっていることであるなら、確かに一種の愛だと思うんだ。心を鬼にするというかさ。例えば幼稚園とか小学校とかで子ども大好きな先生だって子どもを甘やかしすぎてたら今後子どもたち自身がが困ってしまうから、叱りたくなくても叱ったりとか嫌われたりとかね(もちろんADHDや感情障害に関して心を鬼にしてどうこう言うのがいいこととも限らないけど)。けどそれが自分本位で、単に普通であるべきだとか、社会的に見て自分の子が普通じゃないと恥ずかしいとか、そういうことで叱る・矯正するならそれは愛ではないのかもしれないな。どっちなのかは分からないし、それが無関心よりはいいのかどうなのかも分からないけど。好きの反対は無関心とも言うっけ。大切にされてるとは思うんだ。
でもね、ありのまま愛してくれたらね。
って、やっぱり思うよね。
ななしさん
あなたの言う普通とは「定型発達」のことでしょうが、普通だろうと普通じゃなかろうと自分の好きなことを好きなようにできることが一番大事だと思います。
普通=平凡? 普通ではない=奇才?
こんな考えもありますよ。
一番困るのは親御さんが「なんで出来ないの?」と問い詰めることです。
この「出来る」について、きっと100%を求めているのでしょう。だけど人間は完璧ではないので80%だったり50%だったりするものです。
これを受け入れてくれていたらよかったですね。
物事を100%できる人というのは 必ずしも何も苦労もせず100%できるわけでもなくて、その裏に膨大な量の練習の積み重ねがあったりします。
私の意見としては 親御さんはともかく、あなた自身が納得いくように出来たらいいんじゃないでしょうか。だってあなたの人生ですからね。
どんな人でも、結局は自分がその結果に納得いくかいかないかですので、努力することは忘れないでほしいです。
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