私には大切な、愛しい人がいます。
その子は同性です。
中学生のとき、いじめのような目に遭って絶望(今思うと自分も悪かったのですが)の中にいた私を掬い上げてくれました。
私が今でもこの場所にいることが出来るのは、その時にその子から貰った言葉のおかげです。
それからずっと、私が辛いとき、その子が辛いとき寄り添ってそして嫌なこと、嬉しかったことを分け合ってきました。
始めはただの大切な友人の一人だったはずなのに
なのに、いつの間にかもっともっとと求めるようになってしまいました。時間が経てば立つほど気持ちは拗れて、膿んでいくようで自分が怖くて堪りませんでした。
受験のとき、選んだ道が全く別でホッとしたのもつかの間、結果は互いに滑り止めに引っかかりよりにもよって同じ大学。いまでもたまに一緒にご飯を食べています。
中高と違い、学部が違えばまったく違う友人が出来るのは当たり前のことですよね?
でも、でも私の知らない人と一緒にいて約束を忘れられたり、話が長引いて来れないと言われたり、知らない人と仲良くしているのを見ると醜い気持ちでいっぱいになってしまいそうになります。
私のもとに閉じ込めておきたくなんかない。もっと広いところに行って、沢山の人に出会って、幸せになってほしい幸せにしてあげたいって、確かにそう思っているのに。
そんな現在を、未来を描くたびに胸が痛くて痛くて堪らなくなります。
私が一番でありたいと、特別でありたいと思い、願ってしまうのです。
これが世にいう「好き」という気持ちなのか、それとも依存なのかもう縺れすぎてわけが分からない。
好きと。好きだと。貴女を愛してるんだと叫びたい。抱きしめたい。
でも、その子との間に亀裂が入りかねない爆弾を爆発させる勇気も度胸も無い。
「なんでも打ち明けられる親友」っていう、ある意味恋人よりも美味しいポディションを失うくらいなら何度だって自分を殺す。
それなのに、くだらないじゃれ合いの喧嘩をして「もう嫌い!」っていうと「でも好きでしょ?」って言われたり、そういう冗談を言われるたびに胸が痛くて痛くて泣きそうになる。その瞬間はやり過ごせても思い出す度に混乱してしまう。
友達と恋バナになるたびに、家族に「浮いた話のひとつもないの?」って言われるたびにどうしたらいいか分からない気持ちでいっぱいになる。これを書いている時も脳内が支離滅裂で、文章も矛盾だらけかもしれません。
この気持ちは、いったいどうしたら殺せるでしょうか。
そもそもこれは恋と呼べる代物なのでしょうか。
長々と読んでくださってありがとうございました。
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ななしさん
そっか。
つらいよね。
愛に飢えているのかもしれない。
自分を必要としてもらえる人はたくさんいるよ。
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