俳句短歌詩小説と、創作に関するいろんな会に参加してて思うのは、自分には作品を鑑賞して感じたことを言葉にする力が本当にないんだなってこと。
だけど自分の作品や技術がそこまで壊滅的というわけでもなくて、どころか結構良い評価をもらえることもあるんだけど、他人の作品となるととたんに何を言えばいいかわからなくなる。
こんな感じだから、いつも自分のターンが回ってくるのが苦痛。しどろもどろに「……〇〇だなって! 感じが、しました……!」と言ってやり過ごすしかない。情けない。恥ずかしい。控えめに言って死にたくなる。
その〇〇という感想も稚拙で的外れだと自分で知っているし、穴があったら掘って入ってブラジルまで突入してえ、と思う。
なんでなんだろうな。結局、自分のことしか考えられてない証拠なのかもしれない。
だから、かは分からないけど、ここでお返事を書くのも苦手だ。
名前ありではほとんど書いていないし、匿名でも自分が流してきた小瓶の数よりは少ないだろうなってくらいしか書いていない。
共感したり何か言ってあげたいことがあったり、すごいなと思ったり、そういうのがないわけじゃないけど、その上で自分がどんな言葉を発せばいいのかが分からない。
口に出した瞬間からそれが私のただの独りよがりななにかになるのが目に見えているから、わざわざそれを出して嫌な思いをさせたくない、もとい「恥をかきたくない」と思ってしまう。
まあ、恥を異常に感じることも感想やお返事を言えない書けない原因のうちのひとつだとは思うけど
やっぱり究極的には、どう頑張ってもどうしようもない、独りよがりという私の性質が問題のような気がする。
私の作品も私の小瓶もはっきり言ってかなり自閉的だ。他者に働きかける余地がほとんどない。あるとして、そこには「私とおんなじようになってください」「感じてみてください」「考えてみてください」というかなりやべー感じなものしか残らない。
他者が私と同じように考えるようになる、他者に私の感覚を共有させる、そういうことにしか私は文章や芸術の価値を感じられていない。
それができなければ私の創り上げたものの全てはゴミだと私は思う。人に伝わらないのだから。本来それは、血眼になってまで人に伝えることをこそ目的としたものなのだから。
まあそんなの基本中の基本か。
でもたまにそうではねえよみたいなことを言う言説もあるものだから(いうてあるか? ただの被害妄想じみた想定のような気がしてきた)自分じゃよく分からない。
だからきっと私が鑑賞に向いていないのは、あまりにそういう志向が強すぎて、人から伝えられる、感覚を共有される、というものを、無意識的に拒んでいるからなのかもしれない。
つまり、自己中、だから?!
まあ、そうでしょうね。
そりゃ、そうだ。
今の自分が読書を全く受け付けていないのもそれが原因なのかもしれない。
他人の思考が脳内に入りこんでくるのが苦痛。そこはオリジナル100%の私の思考で満たしていたい。と考えてしまう。そうしていなければ、自分が壊れてしまいそうだから。
自分一人の思考や感覚、感情、そしてそれを記述することになどにそこまでの価値はない、それはそうだろう、しかし、それはそれとして、それを一大事なものとして捉えてしまう私の感性は全く否定したくない。
気持ちが悪い。
そうやって建前では唾棄しなければ到底社会ではやっていけないものを大事に大事に抱えて、そのさきで、何がしたいのか?
わかんないよ。
私はだれかと気持ちを共有したいだけ。
でも私のことばっかり知ってほしい知ってほしいではなにも解決しない。
だけど何かを受け入れるのはイヤ。
笑える。
そう、そういう姿勢が滲み出ているだろうことを知っているから、私は自分が人の作品について何かをいう番が回ってくるのが嫌いだし、お返事を書くのにもかなり消極的だった。
ただの日常会話で私が他人に興味があるフリをすることなどもはや簡単だった。
きっとそれでも隠しきれない小さな違和感が積み重なっていってそのうち離れていってしまう人たちもいるのだろうけど、とにもかくにも、その場しのぎの対応をするのだけは上手くなった。
だけど文章は、文芸は、芸術は、それを隠せない。だから嫌い。だけど、好き。
一番知ってほしいものを見てもらえる可能性があるのも、一番見られたくないものを見られる可能性があるのも、それそのものであって、それでしかないから。
一番知ってほしいもの、しかしそれは本当に私のうちに存在しているものなのだろうか。
自己中心的で人に興味がない、自分のことを知ってほしい、他人はどうでもいい、私の感覚をほらほら見て感じて考えて? 分かるでしょ? と与えるだけ与え、人に処理させておいて、自分は何もしない何もできない
果たしてそんな人間のうちに他人様に見せられるような美徳や生き様などあるのだろうか。
はなはだ疑問だった。
でもじゃあ反対に、私の作品がある程度は評価されるのはどうしてなのか。それも素人のレベルじゃないある程度のレベルになった人たちがやっている中での評価だ。
私が一番知ってほしいのは何?
私だってそれをよく理解してない。
都合のいい見せかけの美しさなのかもしれないし、あるいは反対に、どうしようもない苦しくなるほどの自分の醜さなのかもしれない。
まあ、ぐだぐだ長いことを話したけれど、きっと私がうまく鑑賞というものをできないのは、ひとえに自分が他者に対して何かを知りたいと思えない興味関心の薄さによるものなのだろう。自分にしか興味がない。カス〜。
あとはただ単に「言葉にできない」だけなのかもしれないけど、じゃあなんで自分のことはこんなにペラペラ喋れるの? って感じだしね。よく分からないよ、ほんとに。
本当に、言語化が上手い人はどうやってるのかが知りたい。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
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