全部どうでもいい。
私はどうしようもなく恵まれている。
前まではそのことに絶望すら抱いていた、恵まれた自分は絶望することすら許されないのだと。
けれど今はもうただ自分の境遇への感謝とその非現実的な感覚に対する気色の悪さ、そして形成された「絶対に私が人生で絶望してきた大人の誰よりも頼り甲斐のある人間になってやる」という強烈な願望、それしかなかった。
上から目線にそれは素晴らしいことだと他人ににこにこ笑顔で言われる筋合いは全くないが、本当に、ただ、それだけだった。
自分を救えてもいないくせに誰かを救おうとして泥沼に引き摺り込み引き摺り込まれるようにはなりたくないから。
自分を人畜無害で善良な人間だと思い込んで平気で他人に害をなせる、他者の生きる力を無関心と甘やかしで無自覚に奪い取れる獣にはなりたくないから。
自分の価値基準だけが全てだと思い込んで相手を諭すだけ諭して満足してしまう、この世の大多数の、クソ野郎と呼びたくなってしまうほどの、罪なき人々には、決して、なりたくは、ないから。
きっと私は、自分を無辜の民だと錯覚できる人間が一番嫌いだ。
それは別にある出来事や事件においてとか、側面においてという話ではない。
「自分の人生において」自分の無害さを信じることのできる人間がおぞましくてならない。他者を害するならせめてそれを常に自覚していろと、思ってしまうから。別に、自分がそれを完璧にできているとも思えないけど。
強くなりたい。自立したい。親より稼ぐようになりたい。家族よりいい家族を作りたい。家族を助けて私の方が優越していることを確認してひとり満足したい。人を助けて過去に無力だった自分を帳消しにしたい。どこまでも美しくどこまでも健全でどこまでも泥臭くどこまでも素晴らしい人間になりたい。
それも一種の歪みの形だ。
それを私は理解しているが、別に私は歪むことを恐れているわけではない。
歪めなくなることを恐れているだけだ。歪める形を持たぬ私など大嫌いだし、どうせきれいな立法形にはなれぬのならとびきり美しく歪んだ彫刻になりたいと願っている、それだけ。
そういう意思。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
▶ お返事の注意事項