母に愛されたかったという悲しさを思い出して家族に対する怒りは霧散した。姉に対する恨みとか仲間意識も消えた。ただひとりぼっちになった。でもすこし自由になった。
自分のことではほとんど決壊することのなかった涙腺の施錠が外れ、悲しかったことを思い出したら普通に泣けるようになった。虚しさは感じることを禁じた感情の死骸だったのだと、その死骸の剥がれ落ちかけている今になって気がついた。
口汚く家族を罵った私は、多分、この悲しさを否定したかったのだ。悲しみはあまりに正直で、あまりに脆弱で、あまりに世間(あるいはそれは本当に世間なのだろうか、それは単に、母親なのかもしれない)から迫害されるから。だから怒りと冷笑を悲しみの対象に向けることによって、私は、私は弱くなんかないと、思いたかった。
疲れた。でもなんとなく、来週あたりに控えている家族旅行は、今回は、とくに体調不良とか起こさずに行けるような気がした。
でもなんなんだろう。
私っておかしいのかなあ。私って、頭がおかしいのかもなあ、なんて気がしてならない。
だってそもそも、こんな風に自分が感じたこと考えたこととその原因とその結果について執拗に、舐め回すように分析するとか、とても正気の沙汰とは思えない。
こんなことをするなんて自分に酔っている人間か、なにかものすごい怨念に囚われた人間か、頭のタガが外れた人間か、だとしか、思えない。
ごめんなさい、頭がおかしくて。
余計なことばかり考えて。
感じて。欲して。行なって。
ごめんなさい
なんて、私は虚空に向かって誰に謝罪しているのだろうか。
だれか私のことを赦してくれたらいいのに。でも、そんな機会はきっと、決して訪れないんだろうな。
孤独だ。
また、涙が出てきた。
私は頭がおかしいし頭が悪いんだ、と、母親にうっすら思われてたのかな、なんてことを想像して死にたくなった。
お前の方が頭が悪いし頭の回転もとろいくせに、とすぐに理性的で防衛的な反論は思いついたけど、そんなものは無意味だった。ただ、私の価値が母に否定されてきた。そんな想像をした。そして死にたくなった。それだけ。
こんなこと考えてることを知ったら、きっとまた「そんなこと言われても困るんだけど」「よく、意味がわからない」って私に言って、頭を抱えてため息をついて「傷ついた」のジェスチャーをして、その裏で「どうしてこんな頭の悪い/おかしい人間を育ててしまったんだろう」って、思うんだろうな。
ああ、死にたい。殺してほしい。
殺してほしい。
普通になれなかった私を。
生まれてきて♩
すみませんでした♩
って最近気づいたら一人で歌ってる。
そのことに気がついたら
「そんなことないよ」
と一応言葉にする。
意味あるのかなこれ。どっちも。
そういえばこの前、昔使ってたアカウントのプロフィールがある拍子に見えてしまったんだけど、そこに
最後に気づいたことは、愛も褒め言葉もいらないから誰かに本気で心配して欲しかったら誰かに自分を見て欲しかったっていう、ほんとはずっと抱いてきた至極幼稚な悲しみだった。
私以外とっくにそんなの知ってたと思うけど、自分はメンヘラだったんだなって、それだけ。
というようなことが書かれてた。
なんだ、精神崩壊笑する前の私は精神崩壊笑後の一年半をかけて私がようやく理解し直したことをちゃんと分かってたのかよ
と思ったら、なんかすごい脱力した。
精神崩壊笑さえしていなければ私は今頃……なんてたらればをつい妄想してしまう。つくづく、私の人生は「そうはならなかった」の連続である。まあ、みんなそうか。
思うに、この怒りという防衛は瘡蓋のようなものだったのかもしれない。
おそらく精神崩壊笑(としか言いようがないしわざわざ何度も説明するのも恐ろしいから省略する)という悲しみの奔流に手がつけられなくなった状態・それによる日常生活の困難から脱するためにとりあえず怒りというもので傷口を覆ったが
なんとか出血も治ってきたのでとりあえずそれも外すか、というのが今なんだろう。
たしかに、悲しみどころか怒りを感じることすらままならずに気が狂いそうになってた期間があったというかそれがかなり長かったから、この説はわりと妥当な気がしてきた。
悲しみを堰き止めるために人は罵詈雑言を吐くのか。なんかそれって滑稽で、かわいいね。いやうん。まじめに。
ほんとに、だから私、自分が人のことを一生懸命罵っているとき
「我ながらイっちゃってんな」
って思うのとと同時に、実は
「かわいい〜」
とも思っているんだよね。
やっぱ我ながらイってんな。
人が人を罵るとき、その人は自分が言われて一番傷つく/傷ついてきた言葉を使うらしい。
そうだな、私がこの小瓶や数個前の小瓶で口にした罵詈雑言は「頭が悪い」「人畜無害笑を気取った」「自分の快不快しか考えていない」「原始人同然の欲求垂れ流しのカス」「精神年齢の低い」とかだろうか。
そうかもしれない。私は自分の頭の悪さを他人に悟られることに心底恐怖しているし、人間については人畜無害という概念を全く信じてなどいないし、自分の欲求はいつでも悍ましいと信じている。精神年齢については、しらん。精神年齢の低さを一度でも他人に曝け出せば処されるとだけ思っている。
私の感情は、しかし、先にも書いた通りに、どれだけ罵声を虚空にぶつけようとも、誰にも扱われることはない。真に見てもらえることも、ない。私以外の人間には、決して。
私はその感情の重さに、今度こそは耐えることができるだろうか。それとも。
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